自我の幻想世界に入り込んでいることに気づく時、

 

そこには、必ず感情が存在しています。

 

 

 

言い方を変えれば、

 

感情が存在すると、必ず幻想世界へ突入していきます。

 

 

 

 

わたしはもう、幻想世界は飽きたので、この世界を脱出しようと試みています。

 

 

 

 

感情が現れる時とはどういう時だろうかと、思考を観察してみたところ、

 

人物が現れると、限りなく100%に近い確率で、

 

ジャッジやコントラストの世界へ突入していくことに気づきました。

 

 

 

 

その事に気づいたので、思考の中に人物が現れた瞬間に、「流します。」 と、思考を遣うことにしました。

 

これが功を奏して、幻想世界の「げん・・」くらいで、流すことができるようになりました。

 

これが結構、気持ちがいい。

 

 

 

 

だけど、自我も負けてはいません。

 

少しでも気を緩ませると、幻想世界へ引きずり降ろそうとしてきます。

 

 

 

 

以前のわたしなら、そんな自我と闘おうとしていましたが、

 

もうそういうことはなくなり、

 

そんなわたしに気づいたら、再び「流します。」 を繰り返しています。

 

 

 

面白いのが、

 

こうやって、幻想世界を観ないようにしているのに、

 

自我のわたしは、少し寂しさを感じているように思えるのです。

 

 

 

 

「ほぉ~キョロキョロ

 

そんなふうに、自我の世界へと誘導するんだぁ。」

 

そう思いながら、

 

「もう本当にね、その世界は十分に体験したし、わたしはね、自我の世界を超えた世界を観てみたいんだよ。」

 

と、もう完全に自我の世界と、お別れしようとするわたしがいます。

 

 

 

 

課題を、どうクリアしていけばいいんだろうかと思った時に閃いたことを実行に移し、検証を繰り返してきて感じていることがあります。

 

それは、その検証を繰り返して、次元上昇するのかどうかは、わたしにはわからないわけです。

 

答が出て初めて、「この検証でよかったんだ。」と、わかるわけです。

 

 

でもわたしは、検証する前から、この検証は次元上昇できるとわかっています。

 

 

なぜなら、検証をする際の閃きの時点で、ワクワク感があったり、検証をしている時も、とても心地いいと感じるからです。

 

 

逆に言えば、

 

無理やり感があったり、やっていても面白くないと思う検証は、思考だなとわかるので、その検証は直ぐに止めて、もう一度仕切り直しをします。

 

 

 

 

そういう意味でも、今回の検証は、やっていても気持ちがいいので、このまま続けていきます。

 

まだ何の確証もないのですが、

 

わたしが観る外の世界で、「え!? そんなことが起こるんだ。」 と思う出来事が、チラホラと観えるようになってきました。

 

 

 

でもわたしはまだ、自我の世界から抜け出てはいません。

 

『意識の世界』と『現実の世界』の観察を続行していきます。