自我の世界にいると、

 

現実の世界での体験が、感情という反応で完結し、そこから幻想世界へと突入していきます。

 

現実には、その体験があっただけなのですが、

 

相手のこと、自分のこと、その他のこと等々、ありとあらゆる人や環境を設定し、見事なまでの舞台設定をしていきます。

 

 

 

 

 

 

霊性進化の方向へと舵を取り出すと、

 

体験したことから、『学び』が始まります。

 

 

 

『学び』とは、人間世界で調べて知ったことや、体験したことによって「こうした方がいいのかなぁ」というものではなく、

 

この世界が、どんな構造で創られているのかを知っていくことです。

 

 

 

構造とは、難しい計算式を使わないと解けないような構造のことではなく、成り立ちの順番とでも言えばいいのかな?

 

 

 

 

カレーが出来上がるという結果までのプロセスがありますが、そのプロセスを知っていくような感じです。

 

プロセスを知っていれば、カレーができあがりますし、もっと美味しいカレーも作ることも可能ですが、

 

どこかの高級レストランで、メチャクチャ美味しい料理を食べることはできても、わたしは、作ることができません。

 

何故なら、その料理ができあがるプロセスを知らないからです。

 

 

 

 

 

この世に法則があるとわかり始めた時、もっと知りたいと思った理由は、

 

自分の天職をみつけて、もっとお金を稼いで、お金にストレスを感じず、楽に生活していきたいと思ったからです。

 

 

 

ところが、法則を知れば知るほど、全く想像もしなかった世界が観えてきました。

 

それが、この世界の創造構造です。

 

 

 

 

 

私の時計が壊れたら、時計屋さんに修理してもらうのは、私には時計の構造がわからないからです。

 

構造がわかっていたら、自分で解体して直すことができるように、構造がわからない限り、この世の法則を遣うことはできないわけです。

 

 

 

もちろん私も、まだまだわかっておりません。

 

だから試行錯誤しています。

 

 

 

この世の法則の構造なんて、そんな難しいことわかるわけないと思うかもしれませんが、そんなことないんです。

 

わたしたちは、もともとスピリットです。

 

頭という思考で考える必要はないのです。

 

逆に言えば、頭で考えようとするから、ややこしいんです。

 

 

 

 

今、自分の目の前にある環境で、鏡の法則を遣って、自我を手放していくと同時に、少しづつこの世界の構造が観えてくるようになります。

 

何故なら、この世界の構造が観えてくるように、導かれていくからです。

 

 

頭で、こっちの方へ行こうとする必要などなく、勝手にその方向へ向かっていきます。

 

 

 

 

ところが、この自我を手放しながら次元上昇していっても、必ずロックがかかって、次の次元へ上昇できないタイミングが現れます。

 

 

 

『鬼滅の刃』で言えば、『上弦の鬼』です。

 

 

手下どもは、ギャーギャー叫んで、こちらを怖がらせたり、不安にさせたりという感情で攻めようとしてくるだけなので、感情に気づけば対処できます。

 

ところが、『上弦の鬼』は、人間の世界に入り込んでいることすらわからない。

 

 

 

それでも訓練していけば、「他の人間と何か違うぞ。」くらいはわかるようになりますが、気づくまでに時間がかかってしまい、いつの間にか『上弦の鬼』が、目の前に現れていることに気づかない。

 

 

 

 

この世界から脱出できるのは、完全に自我の世界に引き戻されない『意識の設定』が必要なんじゃないかと思うに至りました。

 

 

その設定が、

 

『全ては、霊性進化の為の体験』

 

という意識の立ち位置です。

 

 

 

 

この立ち位置に意識を置いて、無意識に遣えるようになるまで徹底して繰り返していけばどうなるのか、やってみます。