「無理、無理、無理、無理、無理!! 絶対に無理!!

あんな、大っ嫌いなヤツに、優しくするなんて、絶対に無理!!

 

そんなことをしたら最後、うぬぼれて、もっとつけあがってくるに違いないじゃない!!

 

 

 

 

 

その通りです。

 

自分が、そう思っている限り、

 

どんなに優しくしても、結果は同じです。

 

 

 

 

この世は鏡の世界。

 

 

その人のことを大っ嫌いだということは、

 

大っ嫌いなわたしを観ていることになります。

 

 

 

「絶対に、そんな人にはなりたくない。」

 

「絶対に、そんなことを思っているわたしにはなりたくない。」

 

そう思い続けて生きてきたのに、

 

大っ嫌いなその人が、わたしそのものだなんて、絶対に認めたくない。

 

 

 

 

自我は、そう言い切って、

 

せっかくの『学び』のチャンスを、

 

せっかくの、次元上昇のチャンスを逃してしまいます。

 

 

 

 

 

「人の悪口なんて聞きたくないし、なんであんなに悪口ばっかり言うんだろう。」

 

そう思ったこのこと、そのものが、実は、自我の世界で遣う、ジャッジ、コントラストそのものです。

 

 

 

声に出して言っているか、心の中で言っているかの違いだけです。

 

お互い、悪口を言っているつもりなんてないのです。

 

 

 

 

 

国の領土を取り合っている様子を見て、

 

「なんであんなことをするんだろう。どうして苦しませることばかりするんだろう。」

 

そう思いますが、

 

 

自分の周りの世界を眺めてみると、

 

「隣の柿の木が、うちの敷地に入り込んでいる。」 と、怒鳴り散らしたり、

 

「庭でバーベキューをされると、洗濯物が臭くなって困るじゃないの。」 と、楽しんでいる家族の中に入り込んでいったり・・・。

 

 

 

この世界は、フラクタル構造です。

 

場の大きい小さいはありますが、

 

思っていること、やっていることそのものは、何も変わりないのです。

 

 

 

 

何を思おうが、何を考えようが自由な意識の世界。

 

 

でも、感情が動くのは、

 

自分の意識の中で、ジャッジしていることがあるからです。

 

 

 

自我の世界から離れていくことは、ジャッジが消滅していくことでもあります。

 

 

 

 

最初のころは、意識の世界だけで自我を手放すことができました。

 

「あぁ、本当にそうだ。わたしそのものだ。」

 

と、心底腑に落ちることができれば、手放すことができます。

 

 

でも、ある時期から、『気づく』だけでは手放せない時期がやってきます。

 

 

学生で言えば、

 

先生が授業で教えてくれることを聞いていれば、「なるほどね。」とわかっていた時期から、

 

「さぁ、今日は、授業で習ったことが、どれくらい理解できているか、テストをしてみるからね。」

 

というタイミング。

 

 

スポーツで言えば、

 

素振りや球拾い、パスの練習を、いやというくらいやった時期に、

 

「さぁ、今日は、本当に身に付いたかどうか、試合をやってみよう。」

 

というタイミング。

 

 

いわゆる、

 

「意識の世界で理解できたことを、この現実の世界で実際に行動して遣ってみて。」

 

というタイミングです。

 

 

 

 

自我を超えようとする最初の頃、

 

「大っ嫌いな人に、優しくする。」

 

を、実際にやってみる。ような感覚でした。

 

 

 

これには2つの方法があって、

 

ひとつは、大っ嫌いなその人を鏡として観察して、完全に腑に落とし、フラットにした状態から、行動に移す。

 

もう一つは、

 

大っ嫌いなままだけど、大っ嫌いなその人に優しくしたら、どんな反応が還って来て、わたしはどんな感覚を感じるんだろうと、そこに興味があって行動に移す。

 

 

そんな検証をしてみた結果を、いつも観察していました。

 

 

 

 

目の前に、現れた

 

大っ嫌いな人こそ、

 

大っ嫌いな、やりたくないことこそ、

 

わたしを『学び』の世界へと連れていってくれます。

 

 

 

 

自我を手放し続けると、大っ嫌いな人というのは、存在しなくなっていきます。

 

 

でも、自我はそうやすやすと離れていきません。

 

いくらでも、自我の幻想世界は創造することができます。

 

 

 

 

本当に、自我は強烈です。

 

少しでも油断すると、いつの間にか

 

「コントラストの世界へようこそ」 と、

 

 

 

目先の楽さや、甘さに、無意識に引き寄せられてしまいます。

 

 

最近は、そんなふうに引き寄せられそうになったら、

 

「わたしの場ではありませんので。」

 

と、お断りしています。