先週の金曜日の夕方5時から、職場異動される方や退職される方のご挨拶がありました。
退職される方3名の方への花束の準備担当が、私が所属している課でした。
同僚が、
「花束は、第4会議室に置いてありますから、5時前になったら一緒に持ちに行って、タイミングを見計らって、退職される方の上司の方へ、Aさんに渡して下さいと言って渡して欲しいんです。」
と言ってきました。
「あぁ、そうなんだ。わかった。」
そう答えながら、心の中では、
「めんどくさ。」
そう思いました。
私は非常勤で、親睦会には入っていないため、その花束を渡せる立場にはないわけです。
でもその日、もう一人の同僚がお休みだったため、私が渡さざる負えない状況でした。
めんどくさいなと思いながらも、ただ花束を渡すだけだし、大したことなどないしねと、モヤっとした気持ちを、なかったことにしていました。
5時前になり、同僚と一緒に会議室に花束を持ちに行くと、いつもしっかりしている同僚が、
「私、誰に渡すんでしたっけ。」
と、いつもになく焦っています。
誰が誰に花束を渡すか書いてあったメモを慌てて探し出し、確認しようとします。
そのメモを一緒にみると、
書いてあった文字が、わからなくなっているくらい上書きメモがしてあり、誰が誰に渡すのかさっぱりわかりません。
私は、あの上司に「Aさんへ渡して下さい。」と言って渡せばいいことがわかっていますから、こ汚いメモを確認しないままタイミングの時を待ちました。
5時になり、常務が挨拶をし、退職される方や異動される方のそれぞれの挨拶が終了し、花束を渡すタイミングがやってきました。
私は、予定通り上司に、「Aさんへ渡して下さい。」と言いながら、花束を渡しました。
すると、先に同僚がAさんへ花束を渡してしまったため、上司が
「違うじゃないか。」と、笑いながらですが、そう言ってきました。
“なんでそうなるん。私は、まちごてへんやん。”
そう思いながら、
「じゃあ、Bさんに渡して下さい。」
と、上司に伝えました。
挨拶が終了してから同僚が、
「なんで、間違えたんですか。」
と言ってきた時、「あんたが、まちごたんやんか。」
と言いそうになった瞬間、
“あっ、ズレた。”
そう思ったので、ニコッとしたまま何も言わず、帰り支度をし始め、いつも通り同僚と話しをして帰りました。
もし、花束を渡すことについて同僚から話しを聞いた時の「めんどくさい」を、反転させるという第一のチャンスを遣っていたら、この出来事は、起こらなかった。
こ汚いメモだったけれど、確認できるという第二のチャンスがあったのに、それをスルーした。
「めんどくさい」が、見事に、めんどくさいこととして還ってきました
花束を渡すことや、渡す相手を間違ったことが問題ではなく、
「めんどくさい。」
を、放置してスルーしたことが、今回の学びでした。
本当に、大したことのない、本当に、何でもないことです。
でも、私は、この自我の世界を脱出したいと思っています。
目の前に現れた現実に、どれが大切で、どれが大切でないかなど関係はありません。
全てが、わたしの前に現れたことです。
ゴマ粒ほどのことであっても、自分の意識から目を離さない。
自分に、ストイックに