私たちは、頭の中で何かを考えている時も、

 

誰かに何かを伝えたい時も、

 

独り言を喋っている時も、

 

全て、言葉を使います。

 

 

 

 

この現実世界で、

 

「わたしは、どこにいるのか?」

 

そう質問されれば、

 

 

と、自分のことを指さすのでしょうが、

 

わたしが、わたし自身に

 

「わたしは、どこにいるのか?」

 

と、質問するとすれば、

 

「わたしは、言葉の中にしか存在できない。」

 

と、答えます。

 

 

 

 

言葉を一切使わずに、『わたし』を存在させることはできないのです。

 

 

言い方を変えれば、

 

言葉によって『わたし』を創ることができるとも言えます。

 

 

 

 

 

言葉は、本当はそんなこと思っていなくても

 

 

 

 

使うことはできます。

 

 

 

大谷選手は、言いました。

 

「憧れるのは、やめましょう。」

 

「勝つことだけを考えましょう。」

 

 

 

 

『憧れる』

 

たったその一言に、

 

自分には手の届かないもの。

自分ではなれないもの。

自分には超えられないもの。

 

そんな想いが含まれ、

この想いには、『無いもの』がくっついていて、『在るもの』にはならない。

 

 

 

『優勝する』

 

たったその一言にも、

 

なかなか手の届かないもの。

難しいもの。

たった1人しか成れないもの。

憧れるもの。

 

そんな想いが含まれ、

この想いにも、『無いもの』がくっついています。

 

 

 

『勝つ』

 

この一言には、

 

向かっていけるという動きがあります。

 

 

 

 

 

 

悲しんでいる、わたし。

落ち込んでいる、わたし。

怒っている、わたし。

 

と、感情をわたしにくっつけると、動きが全くなくなり、そこに留まり続けるイメージです。

 

 

 

 

 

「〇〇を、やってみようかな。」

 

と、ここで終われば、「やってみる」という行動に出ます。

 

でも、

 

「〇〇を、やってみようかな。・・・やっぱりやめとこう。」

 

と、最期に言った言葉が、わたしの行動を決めてしまいます。

 

 

 

 

ウソも言えるし、誤魔化して言葉を使えるし、意味を知らなくても言葉にすることはできるのに、

 

わたしが、行動に移すかどうかは、この言葉に決定権があります。

 

 

 

 

 

『本当のわたし』が舵を取るようになれば、

 

言葉は必要なくなってしまいます。

 

『本当のわたし』が、やりたいと望むことに、ストップをかけることはありません。

 

今、わたしは、その世界を楽しんでいます。