「本当は、そう思ってたのよ。」
「そう思っていた」のに、「そう思った」方を選択できないのは、
自我意識が、そうさせているからです。
「そう思った」のに、
「私、今、昼寝してるし。」
「私は、そんなことをする仕事じゃないし。」
「それだけのお給料ももらってないし。」
と、「そう思った」自分のことを否定してしまう。
選択基準は、
めんどくさいことはやらない。
損をすることはしない。
楽な方がいい。
と、めんどくさいからやりたくないと思っている自分に、
昼寝をしていることや、仕事内容のことや、お給料のことまで付けて、
やらない理由を述べる。
宇宙の法則は、完全なる平等なので、放出したエネルギーは必ず還ってきます。
案の定、数日後に、トラブルが発生します。
あちらこちらに電話をかけて確認しなければならないような出来事が起こり、
それはいったい誰が原因でそうなったのかと、
自分以外の他の誰かを責め、
Aさんがミスしたことだとわかり、その人が自分に謝ってくれると、
Aさんの労をねぎらう事もなく、
「ほらね。私が悪かったんじゃないでしょ?」
と、言葉では言わないけれど、「ありがとう」という言葉の奥に、その想いが隠れてる返事をする。
もし、「そう思った」ことを、そのまま行動に移していたら、その出来事は起こらなかった。
こういう事が起こった時、わたしは今まで、
「そう思った」ことを選択していれば、後のトラブルは起こらなかったのにと、ただ、選択だけの問題だと思っていました。
確かにそうなんです。
「そう思った」ことを選択し、実行していれば、後のトラブルは起きなかったんです。
でも、今回は、それだけじゃなく
「そう思った」ことを否定した材料が、全て還ってきたんだと、
まるで、手に取るように観えたんです。
「そう思った」のは、『本当のわたし』で、
『本当のわたし』は、『肯定』の流れに乗れる提案をしてくれていて、
もし、その提案を行動に移していれば、『肯定』の流れに乗っていきます。
それは、調和とバランスでできた水が、川を流れているようなイメージで、
その川の水は、他の誰かに栄養を与えたり、喉の渇きを潤してくれたりという『縁』という循環が起こります。
やがて、調和とバランスの上で成り立った結果が現実の世界に現れます。
『そう思った』ことを否定したエネルギーは、放出されていて、
そのトラブルは、放出したエネルギーが還ってきた結果、観える現実に現れた。
私は、めんどくさいからやらない。
他の誰かがやってくれること。
結局、楽をしようとした結果、他の人にやってもらえばいいと思った結果、
余計ややこしいことが起こり、結局自分が動かなくてはならなくなる。
『本当のわたし』が、自我で覆いかぶされていると、
『本当のわたし』がやりたいことなのか、
自我が思考にくっついて、そう言わせているのかがわからなくなります。
自我を手放し続けていくと、『本当のわたし』が観えてきます。
詳細をお話ししなかったので、何のことかよくわからないかもしれませんが、
今回わたしが学んだことは、
『本当のわたし』だけが、『肯定』を選択できるということ。
その『肯定』は、人間レベルのことではなく、この宇宙全体の循環の流れです。
だから、思考であれこれ考えても『肯定』の選択はできないんだと。
できたとしても、その場限りで終わってしまうような、小さい流れで、そのうち消えてしまうようなイメージです。
今まで検証をしてきて思います。
心底、この宇宙の法則の理を信頼していないと、「そう思った」ことより、自我が勝ってしまう。
複雑にしているのは、自我にくっついた思考。
『本当のわたし』の願うことを選択し、行動に移していきます。