「人生は、一度きりなんだから、何か目標を見つけなければ・・・」

 

「あの目標に達成するためには、今、これをしないとならない。」

 

 

その目標に達成したら、私はその後、また次の目標を決めて生きていくつもりだったんだろうか。

 

死を迎える瞬間までが、わたしの人生なのに。

 

 

 

 

 

今の人生に満足できていないのは、きっと天職に巡り合えていないからだ。

 

天職に巡り合えたら、きっとわたしはバリバリ働いて、生きがいを持てるのだろうから、今の空虚感は、きっと無くなるだろう。

 

だから一刻も早く天職をみつけたい。

 

 

 

成るように成るという流れを知らなかったわたしは、

 

いつもジタバタして、

 

いつも未来ばかりをみて、

 

いつも、地に足を付けて生きていませんでした。

 

それは、とても苦しい世界でした。

 

 

 

 

自我を手放すようになって、明らかに変化したと思う事は、頭の中の静けさです。

 

今晩の食事は何にしようと考え始めたのに、決まらないうちに仕事のことを考え始めたり、と思ったら、テレビのドラマの主題曲が流れ始めたり・・・と、とにかくよく喋る。

 

そのやかましい頭の中が、今は静まり返って、今、わたしが考えていることだけが言葉になります。

 

とにかく静かです。

 

 

 

この静けさは、意識のわたしの「したいこと」を明確にしてくれます。

 

それは言葉ではなく、

 

「ふと、そう思った」 ことです。

 

 

 

 

今のわたしができない事は、今のわたしにはできないのです。

 

「当たり前じゃないの~ゲラゲラ

 

そうなんです。当たり前なんです。

 

人間意識満載の時は、ここでジタバタしていたわけです。

 

このジタバタは、今のわたしでできると思っているわけです。

 

 

 

 

今のわたしは、もうそんなことはしません。

 

できないことを認めて、教えて欲しいと自分自身にお願いします。

 

あとは、お任せします。

 

 

 

 

わたしは、日常生活も職場でも、時計は見ますが、思考で行動の時間配分はしません。

 

以前はしていました。

 

「◯分までにこれをして、◯時にはできているようにしなくっちゃ。」と。

 

 

 

 

今は、「ふと思う」その感覚のまま行動に移しています。

 

そうしていても結局は、時間配分したように、ピッタリとなるからです。

 

 

 

「ふと思う」その感覚のまま行動に移していますから、今やろうとしていることが、後でどんなことに繋がるのかなど、考えることもありません。

 

 

 

でも、結局、わたしがわたしの中で思っていたことが解決され、望みが叶っていくのです。

 

 

 

 

今年は、マイナンバーカードがあれば、イータックスで確定申告ができるようになりました。

 

イータックスで確定申告することで、控除も受けられます。

 

このブログをずっと読んでくださっている方はご存知の通り、昨年は土地を売却したためその税金を支払う必要があります。

 

毎年、確定申告はしているので、中身は問題なく入力できるのですが、マイナンバーカードをiPhoneで読み取って送信するのは初めてでした。

 

それでも何とか送信することができました。

 

15日には、口座から税金が引き落とされますが、ちゃんと送信されているのか、その税金額で間違いがなかったのかが心配になり、月曜日は母の眼科受診で仕事はお休みもらっているから、受診が終わったら税務署に行って聞いてこようか、それとも電話をしようかと思っていました。

 

昨日は、いつものように掃除をしたり買い物に行ったりしてましたが、帰ってきてから自分の部屋に入ると、確定申告の為の書類や控えが入ったケースを見てみようと、ふと思ったのでそうしてみたら、直接届けなければならない書類があることがわかったので、明日税務署に行くことにしました。

 

明日の受診後に直接税務署に行っていたら、その書類をもう一度取りにこなければならなかっただろうし、そんな事より何より、書類を届け忘れていたことがわかったことで、わたしの望みは全て叶ってしまいました。

 

 

 

こういう出来事が起きると感激してしまいます。

 

でも、わたしはそれ以上に、この宇宙の法則の存在に感謝せずにはいられないのです。

 

かつてのわたしは、思考で判断していましたから、常に不安の中にいました。

 

 

 

 

人間意識優位の時、この「ふと思う」感覚は、遣っているにも関わらず、一番信頼できない感覚でもありました。

 

だから、

 

「何だかモヤモヤする」とか、

 

「何だか、これじゃない」

 

という感覚を無視して、思考で選択をして、結局後悔していました。

 

 

 

 

「ふと思う」感覚を選択すれば、後悔しないのか? と自我は言いたがりますが、後悔することを恐れて「ふと思う」感覚を遣うのであれば、

 

それは「ふと思う」ことではなく、思考が思っていることです。