人間意識、一択で生きていた時、信頼するのもされるのも難しいと思っていました。

 

どんなに仲良くしていても、どんなに気が合うと思っていても、

 

絶対に約束を破らなくても、約束の時間には1分も遅れない行動をとっていたとしても、

 

たった一度の出来事で、一瞬にして信頼関係が壊れてしまうこともあるのだと思っていました。

 

 

 

 

 

意識の世界の存在を知るようになってからは、

 

誰かに向かっていた信頼が、自分自身への信頼へと変わっていきました。

 

 

自分の胸に感じる感覚。

 

自分のこころの本音のところに感じる感覚。

 

これが何かの課題だと感じる感覚。

 

こころが軽くなったと感じる感覚。

 

ガイドが言っている言葉だと感じる感覚。

 

 

このわたしにしかわからない感覚を、わたし自信が信じ切ることができるようになって、

 

あぁ、これが信頼なのかと思うようになりました。

 

 

 

 

でも、今日になって、改めて信頼の定義が変わりました。

 

 

 

 

 

 

自我が何を言い張ってきても、

 

 

羅針盤の示す方向に意識が向いていれば、動じることなくそのまま進んでいけばいいと、誤魔化すことなく思える自信。

 

肯定の流れに乗れば、成るように成るという自信。

 

今、この瞬間を生きることが最善であるという自信。

 

自我の存在しない望みは、必ず叶うという自信。

 

鏡の法則の存在を、感謝しても感謝しきれないほどの存在だと思える自信。

 

課題をクリアしていけば、必ず成長していけるという自信。

 

課題は、必ずクリアできるという自信。

 

ガイドの存在が、当たり前であるという確信。

 

わたしは観察者であり、体験者であり、創造主は意識のわたしであるという、体験に基づく自信。

 

わたしは、わたしの場を調えていくことが役に立てるという自信。

 

わたしは、自分で自分の人生を創造できるという自信。

 

わたしは、わたしのやりたいことが、誰かの、何かの役に立つことができるという自信。

 

 

 

 

 

これらの全ては、

 

この『宇宙の法則』への信頼です。

 

 

これらの全ては、

 

わたしが、『スピリットである』という信頼です。

 

 

 

 

本当の信頼とは、

 

人間関係の関係性を言っているのではなかったのです。