何の準備もせずにテストを受けたら、散々な結果だった。
めんどくさくて、いい加減に資料を作ったら、上司からもう一度作り直せと怒られた。
デートのことばかり気にしながら仕事をしていたら、大きなミスをして結局デートの時間に間に合わなかった。
あるあるなお話しですが、
「何の準備もせずに」
「めんどくさくて、いい加減に」
「デートのことばかり気にしながら」
この時点で、どんな結果になるのかは、明確です。
それが、この世のしくみだからです。
始まりが、いい加減であれば、途中で意識を変えない限り、終わりもいい加減に終わる。
始まりが、一生懸命で丁寧で、自分のできる限りを尽くし、それを継続できれば、一生懸命に丁寧に、自分でできる限りのことをした結果になる。
この世のしくみは、
それ相応に成るようになっています。
それ相応とは、意識のそれ相応です。
誰が見ても、不器用で時間がかかって、上手にできたとは冗談にも言えないモノができあがったとしても、この世のしくみに届いているのは、そのモノに投げかけた意識とエネルギーに相応するモノになっていきます。
仕事で例えるなら、
Aという業務に対しても、Bという業務に対しても、いつも一生懸命で、誰からの評価を得ようが得まいが、そんなことは関係なく、ただただ、自分の精一杯に意識を向け続けていれば、思いもよらない結果に繋がっていきます。
思いもよらない結果と言うのは、自分だけが知っている、自分が貰って、最高に嬉しい結果です。
恋人が欲しいと思っていたら、そんな出会いがあったり、
母親が作ってくれた稲荷ずしが食べたいなと思っていたら、それが宅急便で届いたり・・・
今、開発中のプロジェクトで、とてもヒントになる出来事が起こったり・・・
この世のしくみは、肉体の私が、どれだけカッコいいことをしていようが、そんなコトは観ていないように思います。
意識の私と、どれだけコンタクトをとっているか。
意識の私と、どれだけ協力し合っているか。
どれだけ、自分自身のことを知ろうとしているのか。
どれだけ、この三次元の世界で丁寧に一生懸命に生きているのか。
誤魔化しのきかない、心底の部分を、いつも観られているように思います。
この世のしくみは、私の心底を読み切って、私しか知らない、私が一番喜ぶモノをご褒美としてプレゼントしてくれる。
この世は、成るようにしか成らない。
何故なら、成るようにしか成らないしくみが成り立っているからです。