今朝は9時から、1ヶ月に1回のマッサージを受けに行く為に、8時30分に家を出発できるように準備をしてました。
そんな時に主人が、
「お昼には、帰ってくるの?」
と言うので、「帰ってくるよ。」と返事をすると・・・
「今日のお昼は、何を作ろうかなぁ」
と言うので、私は、
「あっ、今日は暑いし、そうめんにしようか?」
と言うと、
「それはいいね。」と、主人が答えたので、お昼は、そうめんと、冷蔵庫にある物をおかずにしようと決めましたが、主人がいつも言わないようなことを言ってくるなぁと思いながら、私は出かけました。
爆睡するほどの、優しい施術を受けた後は、いつもドリンクメニューを見せてくれて、飲み物とチョコなどのお菓子を出してくれます。
ホットを注文して、彼女が準備してくれてる時に、窓の外を見ると、
暑そうな日差しが見えたので、
「今日のお昼は、そうめんなんだぁ~」と、何気なく言うと、
コーヒーとお菓子を持ってきてくれた彼女が言います。
「麺て、難しくないですかぁ 粉くさいって言うか・・・」
私: 「え?そぉお? そんなことないけどなぁ」
彼女:「どれくらいの鍋で、湯がいてます?」
私:「まぁ、それなりに大きめので湯がいてるよ。」
彼女:「ですよねぇ。私も、これくらいの大きさの鍋で湯がいてるんですよぉ」と、ジェスチャーで教えてくれます。
私:「それくらいで、いいんじゃない?」
彼女:「ですよねぇ。でもね、粉くさいんですよ。」
私:「パラパラって、入れてる? その後、菜ばしで、麺をほぐしてる?」
彼女:「はい、してます。」
私:「じゃあ、何でだろう?」
彼女:「昨日の夕食に、冷やし中華を作ったんですよ。でも、粉臭くって、旦那も私も、クッソまずいってなって、夕食が散々だったんですよ~」
私:「・・・・・ねぇ、ちゃんとお湯が沸騰してから麺を入れてる?」
彼女:「・・・・そこそこ・・・」
私:「 そこそこって・・・。完全に沸騰してからでないとダメだよぉ~。沸騰してても、麺を入れれば温度が下がるんだから、沸騰していなかったら、もっと温度下がるしさぁ。麺が躍るように湯がくんだよー」
彼女:「それでかぁ」
私にとっては何でもないような事でしたが、彼女は、疑問がとけて、とても喜んでいました。
きっと、今度は、自信をもって麺を茹でることができることでしょう・・・たぶん
で、今日は、なんでこんなお話しをしたかと言いますとね、
自我を超えていくと、自己中心の世界からは脱出していきます。
別の言い方をすれば、自己中心だから願いが叶わないんです。
自我が優位だと、どうしても自己中心の世界にいますから、人の為にしてると思っていても、実は自分の保身であったり、執着であったり、自分の承認欲求を満たすための行為だったりします。
それが自我の世界ですから、それはそれでいいんです。
自我の世界を脱出すると、嘘のように願いが叶い始めます。
そこが、バランスと調和の世界だからです。
人間の私が、外の世界をコントロールしようともがいたところで、自分自身が疲労困憊するだけで、何も変わりませんが、バランスと調和の世界では、自分がどう生きたいかと、意識は内側に向かっていきますから、「こんな生き方をしたいんだ。」と望めば、その采配は、宇宙がしてくれるわけです。
私に、私の世界があるように、他の人にもその人の世界があります。
でも、私が知っているのは、私の世界だけで、他の誰が何をどう考えて、どんな行動をしているのかなんて、わかるすべもないわけです。
今日の彼女が、夕べ散々な夕食だったことなんて私は知らないし、麺の茹で方が苦手だと言うことも、私は全く知りません。
彼女は彼女で、今日、麺の茹で方が間違っていたことを知ることになるなんて、思ってもみなかったはずです。
ただ、彼女は昨日思ったと思います。
「なんで、こんなに粉臭いんだろう。どうやったら粉臭くならないんだろう。」って。
その質問の答えを、私が言った。
こういう体験をすると、本当にこの宇宙の采配は凄いと感激せずにはいられません。
そうめんの茹で方ぐらいでって思うかもしれませんが、この世界には、特別なことなど何もなく、全てが同じ線上にあります。
それが特別か、小さなことかは、人間の私が判断しただけのこと。
私は最近、『協働共存』に意識を向けています。
そんな私に、こんなふうに、この世のしくみはなっているんだと、改めて体験させてもらったことが、とても嬉しくて、とても面白くて・・・。
だから、今日のブログには、是非この出来事を書きたいと思った次第です。 はい。