主人が、暑い夏に何度も草刈りをしていた休耕田を、売って欲しいと言う人が現れた。
主人も私も、この15年間ずっと、ずっと思ってた。
「誰か、この土地を生かしてくれる人はいないだろうか?」
調整区域と名の付いたこの土地は、ガソリンスタンドか医療系の建物か、美容院しか建てることができない。
本当に手のかかる手順を踏まないと開発できない。
そんな土地でした。
当時、この土地を使いたいと、何も調べていないコンビニの営業の人がやってきたこともあったけれど、開発は無理だと諦めてしまったくらいです。
その土地に、美容院とカフェを併設して建てたいと言う人が現れました。
私たちにとっては願ってもないお話しで、是非進めてくださいとお願いしました。
色んな手順を踏んでいく途中で、ある課題が勃発しました。
その課題と言うのは、開発するためには、うちの土地の隣の土地の持ち主に同意してもらう必要があると言うのです。
ところがその隣の土地の持ち主のおじいさんは、世間でよくいう、頑固じいさんで、
「俺の目が黒いうちは、おまえとこに勝手なことはさせやん!」
と、何かあるとモノ申す人で、主人にとっては親ほども年が離れているのに、やたら目の敵にしてくる人でした。
当然主人は、その人のことが大っ嫌いです。
顔も見たくないと思っています。
それなのに、その人から開発の同意を得なければならない。
その話しを、不動産の方から聞いた時、
「あの人に頭を下げるくらいなら、土地は売らない。」
そう主人が言い出したんです。
こんないい話しは、二度とないかもしれない。
このチャンスを逃したら、もう二度とチャンスはないかもしれない。
主人が、そのおじいさんのことを嫌っていたのは、不動産の方も知っていたので、
「僕が説明して取りに行ってきますよ。」
そう言ってくれました。
ちょうどこの頃、私は、『最善の選択』について、学んでいた時でした。
毎瞬毎瞬の最善の選択。
そんなことを意識し始めている時でした。
それで考えたんです。
最善の選択は何か。
主人は、絶対に行かない。だから無理。
不動産の方に行ってもらう。これは簡単。
でも、私のハートはスッキリしない。
土地の開発許可が下りなかったとしても、絶対に後悔しない選択。
私が、私一人で、そのおじいさんのところへ行く。
この家を建てる時に、顔を見て話しをしたくらいで、15年間会ってもいない。
私の事を覚えているかどうかも、今、どんな人になっているのかもわからない。
怒鳴ってくるかもしれない。
話しを聞いてくれないかもしれない。
同意をしてくれないに違いない。
でも私は、この土地を売ろうとしていることを、はっきり伝えるのが道理だと思いました。
結果的に、土地が売れなかったとしても、絶対に後悔しない選択。
そのおじいさんのお宅へ行く日を決定してから私の心臓は、
でしたよ。
そして当日、
不動産の人には一緒に行ってもらいましたが、遠くで待っていてもらい、私一人で説明をしに行きました。
私のことは覚えてくれていました。
おじいさんは随分痩せていて、心不全で3回も入院を繰り返して、もう2年も農作には関わっていないと話してくれました。
今回の開発のことを話すと、
「おまえとこがおまえとこの土地を売るのは勝手や。そやけど、開発するなら、俺は言いに行く。」
と、全く同意をしてくれませんでした。
でも、私は後悔しませんでした。
私がやれる最善を選択しました。
あとは、宇宙の采配に任せよう。
きっと宇宙は、誰もが喜ぶ采配をしてくれるだろう。
その結果、開発許可が下り、おじいさんは何も言ってきませんでした。
このことがきっかけで、私は、最善の選択を意識するようになりました。
どんなに自分にとってイヤなことであっても、
「人としてどうなんだ?」
と、自分に質問した時、
思考とハートの感覚が一致した選択をする。
選択したことから、絶対に逃げない。
そう決めました。
それを教えてくれたのは、紛れもなく、その『おじいさん』だったわけです。
私はこの時から、毎瞬毎瞬の選択が、タイムラインを創っていくんだと気づいたので、今も変わらず、何でもないこの日常の生活の選択を、意識して選択するようになりました。
それを繰り返すことで、地に足がついた生き方をしていると思えるようになりました。
この出来事で、私は、
『最善の選択とは何か』
と言うことを学ぶことができましたが、もうひとつ学んだことがあります。
それは、
『人の縁』
です。
霊性進化は、意識の拡張です。
それはまるで、
一滴の気づきがきっかけとなり、外にどんどん広がっていくように、
霊性進化することは、人との縁の広がりでもあると、そう思うようになりました。