私ばっかり、こんなに大変。

 

私ばっかり、嫌な仕事が回ってくる。

 

私ばっかり、損をしている。

 

 

 

傲慢で、被害者意識バリバリの自我は、こう言うことを平気で肉体の私に言わせる。

 

 

 

 

 

 

自分を観察するようになって、

自我の世界の存在を知るようになって、

 

傲慢な自分を見つけ始めました。

 

 

 

 

 

私は、知ってるけど、あの人は知らない。

 

私は、頑張れるけど、あの人には無理。

 

私は、もっといい物を作れるけど、あの人にはその才能はない。

 

あの人には、執着があるけど、私にはない。

 

あの人は、自分の思うようにしたいと思っているけど、私はそうじゃない。

 

 

 

どの口が言う!!

 

 

と、自分の口を、糸で縫い付けたくなる。

 

 

 

そんな傲慢な自分に気づいても、それでも傲慢さは顔を見せた。

 

 

 

誰かと自分を比較することで、自分の存在価値を自ら上げようとする。

 

 

 

『バカにされたくない。』

 

この意識は、

自分の存在価値を認めて欲しいと言う承認欲求。

 

 

 

承認欲求は、手放しても手放しても、食いついてきました。

 

 

 

承認欲求を手放せば、人に認められなくても平気になるのか? と、直ぐに逆の言葉探しをしてしまいますが、

 

人に認められなくても平気になるために、承認欲求を手放すのではなく、承認欲求そのものを手放す。

 

 

 

私には、

『承認欲求を使った幻想世界を創造しません。』

 

と、決めることはできますが、決めたから直ぐに『承認欲求を使わなくなる』とはいきません。

 

そもそも私は、いつどんな時に、承認欲求を使っているかなど知りようもないのです。

 

 

 

 

でも、決めると必ず、私の観ている外の世界に、何かを観せて、振り返った時に、

 

あぁ、そういう手を使ってくれていたんですか。

 

そんなふうに、あとでわかる。

 

 

 

 

 


上矢印

この出来事が起こった翌日、私の中に変化が現れました。

 

急に、ふと・・・、でも、ズンと腑に落ちた感覚。

 

 

あぁ、頑張っていない人など、誰もいない。

 

 

 

 

 

行動を起こして、周りの人にもわかるような結果を見せるコトができる人は、頑張っている人だと、誰もがいう。

 

でも、行動を起こしても、周りの人が認めてくれるような結果を出せない人だっている。

 

 

 

結果が観える人は、頑張っていて、

結果が観えない人は、頑張っていない。

 

 

自分が自分に、そんなジャッジをする。

 

 

バカにされないためには、頑張らないといけない。

頑張って、みんなにわかるような結果を出さないといけない。

 

 

 

 

私たちは、意識と言うスピリット。

 

この三次元の世界に、肉体を持って降り立つと決めた時には既に、頑張らないといけない状態であったはず。

 

 

 

 

私は頑張っているけれど、あの人は頑張っていない・・・わけがない。

 

一人残らず、頑張っている。

 

 

 

 

 

そんな気づきがあって、一番楽になったのは自分だとわかりました。

 

 

 

 

傲慢には、何度も気づきました。

 

その都度、手放したつもりでした。

いえ、確かに手放していたんだと思います。

 

でも、この傲慢は、

 

 

 

 

 

バームクーヘンのように何層も何層も重なって、相当分厚い層で出来上がっているように思います。

 

 

 

また、傲慢な自分に気づくこともあるかもしれませんが、今回はかなり分厚い層を破ったような感覚です。

 

そう感じた出来事が、今日ありました。

 

 

 

 

 

今日は、水曜日。

いつものようにテニススクールへ。

 

1~2ヵ月ほど見かけていなかったSさんが、久しぶりにやってきました。

 

そのSさんが、急に

 

「ねぇ、3回目のワクチン打った?」

 

そう、私に聞いてきました。

 

 

私はまだ市から書類も届いていないので打っていないのですが、彼女はもう打ったと言います。

 

「よく、予約が取れたねぇ」と言うと、直接電話したら直ぐに予約が取れて打てたと教えてくれました。

 

 

 

テニスが終わって家に帰ると、ポストに私宛のワクチンの通知が届いていました。

 

夫と母には既に届いていたのですが、この、市へのネット予約がとにかく面倒だと、夫はワクチンを打つことに抵抗はないけれど、予約を取るのが・・・と手つかずでした。

 

 

 

私も実際に、通知に書いてある通りにやってみましたが、この日がいいと入力しても、全部バツレッド

どうしようかなぁと思いながら、テニスから帰ってまだ昼食を食べていなかったので、まずは食べることにしました。

 

 

そうこうしていたら、母が

 

「目がまた見えにくくなって、眼圧が上がっているように思うから、眼科へ連れって欲しい。」

 

と言ってきました。

 

 

 

テニスで疲れて、誰もいないこの陽だまりの気持ちのいい部屋で過ごす時間は、私にとっての至福の時間。

 

いつもの私なら、眼科へ連れて行きはしますが、この時間を奪われたような気分になっていたはずです。

 

でもね、今日の私は、一切その感情が湧き出てこなかったんです。

 

 

へぇ~キョロキョロ こんなになるのかぁ~

 

 

 

 

その眼科はいつも混みあっていて、たくさんの患者さんが待合室にいるのに、今日は、まだら。

スムーズに診察を受けることができて、結局3月に緑内障の手術をすることに決めました。

 

母は、1月の受診の時に手術を考えるように言われていたのですが、踏ん切りがつかず、次回の定期受診にその返事をする予定でしたが、決めることができました。

 

もちろん、看護師である私の判断でもありますが。

 

 

と言うことで、手術の説明を看護師さんがしてくれて一段落した時に、ワクチン接種のことを聞くと、当病院のホームページから予約できることを教えてくれました。

 

 

 

家に帰って主人にも話しをすると直ぐに予約を取ることができ、私も母と同じ日に予約することができました。


母も、今日受診した事で手術を決める事ができて、とても満足してました。

 

 

 

 

いえね、何がどうってことない、私の今日の出来事の話しなんですけどね、

 

でも、今日のこの出来事で感じた感覚と、私のハートの感覚が全く同じで、とても楽だったんです。

 

 

 

 

この間の出来事から、今日に至った出来事で、

 

「傲慢は、承認欲求から創られている。」

 

そう思いました。

 

 

 

 

今の私は、

 

『満足感』に『楽』がプラスされたような、そんなハートの感覚を味わっています。

 

 

 

いや・・・このイラスト、あかんやろ滝汗