「よしテニスをしよう
」
そう決めたのは、5年前の3月。
その動機は、大阪なおみ選手のようになりたかったわけでもなく、運動不足を解消したいからでもなかった。
ただ、ただ、悔しかったから。
看護学校を卒業して働きだして、もうすぐ1年になろうかという2月に、たまたま看護学校で物理を教えてくれていた大学病院の教授に出会いました。
その出会いがご縁で、学会やら医療機器メーカーの方たちが集まってスキーをしに長野に行くけど、一緒に行かないかい?と誘われたのが始まり。
それから毎年、スキーに誘われるようになり、結婚して子供が小さい時は、しばらく参加できなかったけれど、21歳からのそのご縁は、今も続いています。
それでね、5年前にスキーだけじゃなく、テニスもしようと言うことになったんですけど、私は見学してただけだったんです。
見学しかできない自分が、悔しくて悔しくて。
見学しながら、
帰ったら、絶対にテニスを始める
そう決めました。
帰ってきて、早速テニススクールを探しました。
屋外は天候に左右されるので、室内コートのテニススクールを探しました。
探していたら、なんと・・・ うちの家の直ぐ近くにあったんです。
即、行って、即、入会して、即、ラケットもシューズも買って、即、クラスも決定しました。
最初は、誰のプレーを見ても、
うまいなぁ~ 早く、上手になりたいなぁ~
そう思って、休まずに通いました。
時々は、ナダル選手の動画を見て、フォームを盗もうと思いました。
だってぇ~、たくさんの選手がいすぎて、色んな選手を見ているとわけがわからなくなるから、それならいっそ、世界一を争ってる人のを見るのがいいかなぁと思いましてね
それから5年。
続けるもんですね。
ちゃんとボールがラケットに当たってくれる
何で今日は、こんな話しをしてるのかっていいますとね。
決めたら、必ずプロセスが始まるんです。
私が、テニスをすることを決めて、スクールを探して、道具を揃えて、実際にテニスを習うというプロセスがあるように、
決めたら、プロセスは、始まってるんです。
例えば、
『ゼロ』になる
そう決めたら、プロセスは開始されます。
私たちは、元々意識だからです。
テニスのように、明確に何を準備すればいいかがわかるコトに関しては、目に見える行動ができます。
でも、『ゼロ』に成るって、どうやって成るのかわからない。
なにせ、目に見えないのですから。
だけど、テニスだって同じで、どうやったら上手くなれるのかは、やっていきながらじゃなきゃわからない。
やりながら、
こうやるのかなぁ~、どうやるのかなぁ~と、自分の閃きと感覚に頼るしかない。
『ゼロ』も同じで、最初は、『ゼロ』に成るってどういうことだろうって、ネットで検索してみたり、本を探してみたり。
そのネットで探そうと思った自分の閃き、
本を買って読んでみようと思った自分の閃きを実行していく。
気づいて学んだら、実際に意識を使ってやってみる。
テニスと同じで、やらなければ、そこでストップする。
私が、訳も分からず、ナダル選手の動画を見るのは、テニスが少しでも上手くなって楽しくなりたいと意識してるから。
『ゼロ』に成りたいと意識していれば、閃きがあって、疑問が生まれて、その答えをみつけて、また次の疑問が生まれる。
『ゼロ』に成りたいと決めたのだから、炙り出しは当然起こります。
重い周波数は、当然感じます。
私が持ってしまったモノを捨てていって『ゼロ』になるのですから、至極当然です。
自分が観ている外の世界を使って、ひたすら『ゼロ』に近づいていく。
悩むし、試行錯誤するし、誰かに聞きたいし、教えて欲しいし。
やってみても上手くいかないし、何がどうなったら上手くなるのかわからないし・・・
テニスだって、他の何かだって、習得するには、気づいて、やってみて、試行錯誤しながら、自分の感覚を使って自分のモノにしていく。
私もまだ、途中です。
何だってそうですけど、やればやるほど、また奥に何かがあって、またそこへ向かっていくように、そうやって進化していくんです。
あそこが頂上だと思って辿り着いたら、また新しい頂上が見えるような感じです。
スピリット意識は、本当に好奇心旺盛だと思います。
本当の自分と繋がれば繋がるほど、それが顕著になってくるように思います。
『今』この瞬間が、何の関係もないように、人間意識は思ってしまいますが、『今』この瞬間が、タイムラインを創っていきます。
「諦められない」と思う位置まで行けば、諦められませんから。