ずっと前に、ニュートンという科学雑誌で、並行宇宙(パラレルワールド)の理論が掲載されていた。(2012年5月15日発行 別冊 次元とは何か)
面白そうな内容だったけれど、私の思考の中では、全くイメージができなかった。
科学者って、こんなことまで考えてるんだぁ~
別世界のことだと思った。
私達は、瞬間瞬間に選択をしてる。
夕食の時に、ごはんから食べるか、トンカツから食べるか。
そういう事が、自分のこれからの人生に影響は及ぼさないだろう。
確かにそうかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
ゆっくり味わって食べるトンカツと、
ただ、お腹が空いただけで食べるトンカツと、
喧嘩しながら食べるトンカツと、
笑いながら食べるトンカツは、
その後のライムラインを選択しているんだろうと、私はそう思える。
それは飛び石のよう。
目の前には、無数に石があって、どの石に飛び移るかは、自由に選択できる。
そこには、無数の色の石があって、どの石を選んでもいい。
どの色が良くて、どの色が踏んではいけないとかはない。
自分の思うように選択し、また次の石を選択していく。
自由に選択できるはずなのに、自我がそうはさせてくれない。
自我は、
色々な条件を付けたり、
望む結果を求めたり、
自分より世間体を気にしたり、
得を選ぼうとしたりで、
どれを選べばいいのかがわからない。
自我とさよならしたスピリットは、
スピリット意識と肉体を一致させて、感覚を研ぎ澄ませて、石を選択する。
羅針盤が向く方向の石を選択する。
そこには、究極の自分との信頼が存在する。
この選択、何か大きな出来事の時だけすればいいと、以前の私は思ってた。
別に、それも一つの選択で、それはそれで構わない。
ただ、自分が望む人生からは、大きく反れている可能性があり、そうなれば、かなりの軌道修正がいる。
最初は、隣どおしの石を選んでいたのに、気づいたら随分離れてしまっていた。
そんな感覚。
期末テストの為に、慌てて一夜漬けで勉強をして、赤点は取らなかったけれど、何も残らなかった。
そんな感覚。
この毎瞬毎瞬の選択を、羅針盤に沿って意図的に選択していくことは、
自分の人生を、受動的に生きるのではなく、能動的に生きれる。
自分の生き方を、自分で選択できる。
私は、ひたすら、この目の前にある石をしっかり見て、踏みしめて、また次の石を選択していくだけ。
ただそれだけなのに、宇宙の采配で、素晴らしい世界を見せてくれる。