『私は、私でいい』

 

 

その意味がわかり、そう心の底から思えるようになるまで、結構な時間を費やした。

 

いや、費やしたから、腑に落ちることができたのかもしれない。

 

 

 

 

 

何年か前に、ディズニーのアナと雪の女王が大ヒットし、

松たか子さんが歌う主題歌の「ありのまま~」と言う言葉が質問を投げかけた。

 

「ありのままの自分とは何か?」

 

 

 

 

自我から捉えれば、

 

「やりたくないことは、やらなくていい。」

「好きなコトだけ、やっていればいい。」

 

そう捉えてしまうかもしれない。

 

 

 

 

 

松たか子さんが、「ありの~ままの~音譜と、歌ったことで、大ヒットしたと言うことは、

 

ほとんどの人が、「ありのままの自分で生きていない。」と、思いながら日常生活を送り、

その歌を聞いたことで、「ありのままの自分で生きていいんだ。」と、みんなもそう思ってるんだと、私一人がそう思ってるわけじゃなかったんだ。

 

と、思ったのかもしれない。

 

 

みんな本当は、わかってるんだよね。

もう一人の自分がいることを。

 

 

そう思っている自分がいるのに、その思う通りにしてあげられない自分がいる。

 

そう思っている自分がいるのに、思う通りにしてあげられないのは、

世間体であったり、常識であったり、規則があるから、自分の思うようにならないと思いがちだけど、実はそうじゃない。

 

 

自分の思う通りにしてあげていないのは、自我の自分。

 

 

自分で創った自分のものさしで、そうありたいと思うのに、そうさせてあげない自我の自分。

 

「そうでなければならない。」と言う、自我が持ったものさしが、

 

そうなれない自分を責める。

 

 

 

存在価値がないと責め、

自己肯定感が低いと責め、

誰かに褒めてもらわないと、自分を認められないから、褒めてもらえないと自分を責め、

 

何をやってもうまくいかないと、自分を責め、

直ぐにイラつく自分を責め、

優しくできない自分を責める。

 

 

 

自分を責めているのは、他でもない自分。

 

 

人のあら捜しも得意だけど、自分のあら捜しも得意だよねぇ、本当に。

 

 

 

 

『私は、私でいい』 と、そう思えた時、

 

自分の事も赦し、自分以外の人やモノにも赦すことができてしまう。

 

 

 

『私は、私でいい』 と、そう思えた時、

 

自分がどんな事を考え、どんな事をしたいと思っているかを聴くことができるようになり、

自分以外の人にも、どんな事を考え、どんな事をしたいと思っているのかを聴くことができるようになってしまう。

 

 

 

『私は、私でいい』 と、そう思えた時、

 

『あなたは、あなたでいい』 と、そう思える。

 

 

 

 

そう思えた時、心はゆるむ。体もゆるむ。

 

心も体もゆるむと、願いまで叶ってしまう。