そんな事を、思っちゃいけない。
ポジティブでいなくちゃいけない。
いつも元気だねと、言われるようにしなくちゃいけない。
頑張ってるねと、言ってもらえるようにしなくちゃいけない。
人を助けなくちゃいけない。
誰もが平等だと、思わなくちゃいけない。
・・・いけない、・・・・いけない、・・・・いけない。
人間意識の世界にある、こういった制限は、
スピリット意識の世界には存在しない。
「〇〇しなくてはいけない。」
この言葉が表面に現れる前には、これと逆のことがあった。
それは道徳的ではなく、
それは正しいことではなく、
我慢しなかったことで起こったような出来事。
だから、自分に言い聞かせた。
この世界で言う、
道徳的な事を、
正しい事を、
それでみんながうまくいくなら、自分が偽善者になってでも、我慢する。
この世は、陰陽一対の世界。
陰と陽は、バランスを保つ為に、同じ力(エネルギー)で、反発し合う。
シーソーと同じように、私が下になれば、相手が上になる。
いつまでたっても、相容れることができない。
私が、そのシーソーにしがみつくのを止めて降りてしまえば、
相手もシーソー遊びができなくなる。
私は、相手に合わせる必要がなくなる。
相手も、私に合わせる必要がなくなる。
シーソー遊びだけが、遊具ではなくなる。
自分が使いたい遊具を使える。
スピリット意識の世界では、
誰かに合わせなくてはいけなと思わなくても調和が存在し、
自分の為にしていることが、相手の為になり、
我慢などしなくても、宇宙がその采配をしてくれて、
自分にウソをつかなくても、正しいことができて、
頑張った時より、もっと意外な結果となり、
元気なふりをしなくても、いつも元気でいられる。
心も、体も、ゆるりとした世界。
この体験をしてしまうと、もう人間意識には、戻れない。