小さい頃から興味のあることがあって、それをもっともっと追及したいと思ってやっているうちに、大人顔負けの物を作ったり、研究したりする子供がいて、
虫のことを一生懸命に研究してるから将来、昆虫学者にでも成りたいのかな?と思って質問すると、
「ケーキ屋さん」
なんて答えが返ってくる番組を見てると、持っていたお茶碗を落としそうになる。
やりたいことがある。
それをやるかやらないかは別として、やりたいことが何もない人は、やりたいことが無いことで悩んだりする。
でも、
やりたいことをやっている人も、
やりたいことを、やらない人も、
やりたいことがない人も、
この生き方でいいのか?
これをやってていいのか?
本当は、自分のやりたいこと、やるべきことは他にあるんじゃないか?
やりたいことが見つからないなんて、私はこれから先、どうやって生きていけばいいのか?
なんて疑問を持つことだってある。
でも、この疑問って、スピリット意識としては、感ずいているんだと思うよ。
自分の羅針盤から、外れていることを。
レモンを歌う、米津 玄師さんは、あんなに出す歌、出す歌ヒットしているのに、
今でも漫画家に成りたいと思っていると、何かで言ってた。
アンジェラ・アキさんも、あんなに色々なヒット曲を出していたのに、2014年からアメリカに在住し、音楽大学に入学された。
おまけに彼女は、メガネをかけてても、超美人だとわかるくらい美人なのに、メガネを外すのはヌードになるのと同じくらい、恥ずかしいと思うとメガネを外さない。
誰かが、自分のやりたいことをやっていて、お金をバンバン稼いで、自由気ままに生きている姿を見て、私もあんなふうになりたいと思うのは至極当然です。
でも、それはその人の生き方であって、私の生き方じゃない。
同じ職業と言う人間世界で作ったくくりはあります。
ケーキ屋さんとか、パン屋さんとか、学校の先生とか、お医者さんとか。
でも、私のやりたいことは、一人ひとりの指紋が違うように、他の人とは違う。
じゃあ、どうなったら、自分がこの世に生まれ、自分が本来生きる道だと確信を持つことができるのか。
それは、『委ねることができた時』
自分の胸の羅針盤が示す方向に、自分を委ねることができたとき、
私は、私が肉体を持って体験したいと願っていた通りの生き方をしている。
そう、確信できる。
委ねることができた時、
お金や、健康、人間関係、仕事等々は、しがみつくモノではなく、既に在るモノになる。
その世界は、当たり前に存在し、心地良いとしか今の私には表現できない世界。
外の世界に意識を向けても、そこには羅針盤はない。
今と言う、瞬間瞬間を羅針盤の示す方向に舵を取り続ければ、自ずと道は開けていく。