『引き寄せの法則』と言うことを知った時、想像した。
自分がこうなっていたらいいなぁ
こんなふうに毎日を送っていたらいいなぁ
未来の自分を『今』に持ってくると、その未来(望むこと)がやってくるよ。
そんなふうに自分なりに解釈して、未来の自分(望む自分)を想像した。
でも、ある日、気づいてしまった。
そうはならない。
何故なら、そう思っている『今』の私は、不平不満だらけだからだ。
そうです。
『今』の私が、不平不満だらけだから、それを変えたいと望んでいる。
『今』の私が、自分の事を嫌いだから、未来の私を変えたいと望んでいる。
どんなに望んだところで、私の奥深くに入り込んだ、不平不満の方が、自分を嫌いだと思う方が、ずっとずっと意識は強い。
何を選択するにしても、不平不満の私が選択するのだから、結果的には不平不満を選択する。
『今』している仕事や家事、そんな日常生活に不満たらたらでいたとしたら、
未来も不満たらたらでいる。
「そういうことか」 と気が付いた。
『引き寄せの法則』を知らなくても、冷静に考えてみればわかる。
不満たらたらで働いている人と働きたいと、誰も思わない。
不満たらたらの話しばかりする人と、誰も付き合いたいと思わない。
不満たらたらで仕事をしているから、仕事内容も中途半端で、結果を出せない。
不満たらたらでいるから、自分が着ている服も、自分の髪も自分の顔も、不満たらたら。
どう考えても、望む未来には、ほど遠い。
『今』、自分のやりたいことがあって、そのやりたいことを『今』、楽しくて、面白くて、時間も忘れるほどのめり込んで・・・
その『今』で、未来を想像するなら、その楽しくて、面白くて、時間も忘れるほどの未来がやってくる。
と言う事に気が付いた。
1年前の自分と、今の自分が、何も変わっていなかったとしたら・・・
1年前想像した自分と、今の自分が何も変わっていなかったとしたら・・・
明日の自分も、何も変わらない。
ただ、『今』の自分が明日もいて、明後日も『今』の自分がそこにいるだけ。
イメージで言うと、
今、不平不満の私が、ビルの1階にいるとする。
この1階にいる限り、私は不平不満しか見つけられないし、選択できない。
でも、2階にいる私は、不平くらい言うかもしれないけれど、不満のない私がいる。
1階から2階に行くためには、何かに気づく必要がある。
今、自分が見ている世界が、自分に何を教えてくれているのか。
それを、腑に落とすことができれば、2階へ行ける。
3階にいる私は、1階にいる私より、ずっと楽しく生き生きしている私がいる。
3階に行く為には、同じように、その3階で見せられた世界が、何を教えてくれているのかに気づいて、腑に落ちれば3階にいける。
1階にいる私は、目の前のことしか見えないから、
隣の部屋がどうなっているのか、
この廊下を真っ直ぐ行けば、どこに行くのか不安で仕方がない。
何を選択するにも、目の前にあるモノしか選択できないから、結果的に1階をウロウロ。
でも、階が上がる毎に、上からその景色を観ることができるから、
全体像が見えだす。
あ~、そうなっているのかぁ
じゃあ、こっちを選択しようかな。
制限がなくなりだす。
望む未来があったとしたら、何故、その未来を望むのか。
『今』の自分が、何故その未来を望んでいるのか。
そこにどんな自分がいたとしても、それを体験した自分がいることに気づくことができたら、
1秒後は、さっきの自分じゃない自分がいる。