他人軸である限り、『ゼロ』には、絶対に戻れない。
何故なら、他人軸である限り、絶対に外すことができないから。
外すことができなければ、『ゼロ』には、絶対に戻れない。
『外す』と言うしくみを理解していても、スピリット意識にはなれない。
常に意識を自分軸に持って行くことで、初めて『外す』ことができ、『ゼロ』に近づいていく。
『外す』と言うこのしくみを、まずは思考で理解し始める。
最初は、面白いように外すことができ、心も体も軽くなる体験をする。
次にくるのは、このしくみを知らない周りの人より、自分の方が優位にいるような気分になる。
誰かに教えたくなるのと同時に、感情に振り回されている人を見ると、「このしくみを知らないからだ。」と、私は知っているから、感情に振り回されたりしないと、高をくくる。
そのうち、自分の気に入らない人の態度を見て、外そうとする。
そこには、相手の態度を変えようとする自分がいる。
それでも最初は、なかなか気づかない。
外しているのに、また同じ態度を見せられる。
ここで、思考が始まる。
なんで、あの人は変わらないんだろう。
私は、外しているのに。
教えられたように、外しているのに。
私は、絶対に間違っていない。
あの人の態度を変える為に、外そう。
これが、他人軸です。
誰が、どんな態度を私に見せようが、どんな言葉を私に言おうが、それは一切関係ないこと。
その態度を見た私、その言葉を聞いた私が、どんな感情を持ったのか。
どんな感覚を持ったのか。
焦点を当てるべきところは、そこであり、これが自分軸です。
どんなに相手が、不条理な態度、非常識な態度を取ろうが、常識的に言ってはいけないであろう言葉を言ったとしても、焦点を当てるべきところは、その態度を見た私、その言葉を聞いた私が、どんな感情を持ったのか、どんな感覚をもったのか。
他人軸でいる限り、人間意識から外れることはありません。
「あの人は、私の事をバカにしている。」 と思っているのは、私です。
あの人では、ありません。
「あの人は、図々しいから、うまく世間を渡れているんだ。」 と思っているのは、私です。
あの人では、ありません。
「あの人は、ケチな人だ。」 と思っているのは、私です。
あの人がケチかどうかを判断しているのは、私であり、あの人は自分の事をケチだとは思っていません。
全て、そう思っているのは、私なんです。
この世は、『鏡の世界』
私が、自分の事をバカにしているから、バカにしてくる人が存在すると言う、陰陽一対の自分の世界を創造してるんです。
私が、自分を図々しいと思っているから、図々しい人が存在すると言う、陰陽一対の自分の世界を創造してるんです。
私が、自分をケチだと思っているから、ケチな人が存在すると言う、陰陽一対の自分の世界を創造してるんです。
でも、私はスピリット。
これらの、地球の重い周波数を、持ってしまっただけ。
どんな周波数を自分が持っているのか、思考にどっぷりと浸かってしまった私には、それがわからない。
だから、全ての人、モノが、それを教えてくれる。
何故なら、あなたを含め、スピリット達は、この地球の重い周波数を持っていることで、あなたが本当の幸せを体験できないことを知っているからです。
自分軸で生きる事を選択するのも、他人軸で生きる事を選択するのも自由です。
ただ、自分軸で生きると決めたなら、妥協は一切ありません。
一瞬でも妥協すれば、他人軸に戻るのは一瞬です。
相手が、犬であろうとネコであろうと、テレビの中の俳優であろうが、コメンテーターや政治家であろうが、親であろうが子どもであろうが、一切関係ありません。
自分が見たモノ、聞いたコト・・・この五感で感じる全てが、自分軸となり『外す』対象になります。
それを続けていくと、この世には『自分1人しかいない』 と、感覚で分かるようになります。
だから、他人軸だと外せないことがわかるんです。