【金の斧と銀の斧】
ある木こりが泉のそばで木を切っていると、手が滑って斧を泉に落としてしまった。
困っていると、泉の中から女神が金と銀の2丁の斧を携えて現れ、
「お前が落としたのはこの斧か」と尋ねた。
木こりが正直に
「いいえ、私が落としたのは鉄の斧です」と答えると、木こりの正直さに感心した女神は、鉄の斧、金の斧、銀の斧、合計3丁の斧を与えた。
その話をきいた、隣家に住む欲深な木こりが泉に出かけてわざと斧を落としたところ、同様に女神が2丁の斧を携えて現れ
「お前が落としたのはこの斧か」と尋ねた。
欲深な木こりが
「それは私の斧です」と手を差し伸べると、女神は
「お前は嘘をついた。だから斧は返さない」と言い放ち、泉の中へと消えてしまった。
(ピクシブ百科事典より引用)
この童話を読むと、「嘘をついてはいけないんだ。」と言う教訓を教えてくれます。
日本の昔話や、他国の童話等々、色んな事を教えてくれていますが、私は、この世のしくみを教えてくれていると思っています。
いわゆる、私たちが目覚めるためのヒントが隠されていると思っています。
誰かにウソをつくのがいけないとか、正直になりなさいと言うのではなく、
『自分自身に正直になりなさい。』と言っているのだと思うのです。
昨日、母がうちに引っ越してきました。
その母が引っ越してくる前に、私の潜在意識が炙り出されました。
それは、夫の母親、いわゆる義母との関係でした。
昨年末に、義母の七回忌を終えましたが、義母とは良い関係が築けませんでした。
私にとっては、嫌いな人であっても、夫にとっては母親です。
今、私が自分の母親にしているように、夫も自分の母親を大切にして欲しかったんだろうなと言う罪悪感を感じました。
そして、主人にその気持ちを伝えようかと思ったのです。
でも、その瞬間、気づくべきことは、そこではないことに気づきました。
義母に対する罪悪感ではなく、私は、
『主人にとって、良い人』に、成りたかったのです。
炙り出しは、そこだったと気づきました。
もちろん、外させて頂きました。
金の斧、銀の斧のように、
「いいえ、私が落としたのは、鉄の斧です。」
と言う、この正直さは、自分自身にウソをつけない正直さを表しているんだと思います。
そして、ウソをついた隣人は、自分自身にウソをついていると言う事を表しているんだと思います。
ただ、この世のしくみは、ウソをついてはいけないのではないんです。
自分が自分自身にウソをついている事に気づき、そんな自分をそのままそれでいいんだと認めること。
自分が、どんな自分であっても、
「そうか、そんな体験をし、そんな感情を持ったんだ。それを体験したかったんだよね。」
と、自分の体験を認めること。
ただ、『ゼロ』に戻るなら、その地球の重い周波数は、外します。
欲深い隣人も、自分が欲深くなった理由や、自分が感じている正直な木こりに対する感情を、女神様に話して、自分自身を内観して、結局自分がどういう自分でありたかったのかを話すことができたら、女神さまも
「もぉ~、しゃぁないわねぇ~。3つの斧、全部上げるわよぉ~」
って、くれるかもね。