私だけは違う。
この世は、鏡の世界だと知っているけれど、あれは絶対に、私の鏡じゃない。
私を苦しめるあの人の態度が、私が持っている意識を映し出しているなんて、絶対にない
あの人が、私を鏡として使っているだけだ
そう思いたい気持ちは、十分過ぎるほど理解できる。
テレビの中で、インタビューを受けている人が、「不安だ」「失望感しかない」「怖い」等々、話している場面に出くわしたとしても、やっぱりそれも、私の意識を映し出している。
ただ、この鏡は、私がわかりやすいように、見たまま聞いたままを、映し出してくれるとは、限らない。
私のスピリット意識のレベルに合わせて観せてくれる。
最初は、誰かが誰かを無視している行為を観て、
嫌だなあ
と、私に思わせたら、実のところ、私が〇〇さんにしていた行為そのものだったりする。
いつもあの人は、時間に遅れてくる
許せないわ。
と、私に思わせたら、実のところ、私の方がずっと時間にルーズだったりする。
次は、私の観念や信念を観せてくる。
自分が自分自身を信頼できないでいると、信頼できない人が現れる。
自分の考えが1番正しいと絶対に意見を曲げないでいると、必ず意見を曲げない頑固な人が現れる。
逆のパターンもある。
ウソをついてはいけないと、小さい頃からずっと言われ続け、それをずっと守ってきたのに、ウソをついたことで、とんでもないことになった。
失うことに異常なまでに執着していると、結局大切なモノを失うことになった。
私の表面にあった、観念や信念やエゴは、わりと外しやすく、軽くなったことも実感させてくれる。
表面にあったモノが剥がれていくと、段々と鏡は、奥へ入り込んでくる。
ちょっとやそっとでは、剥がれない。
剥がれたつもりには、一旦させてくれるけれど、再び現れる。
自分の中に、ドッシリと居座り、なかなか出てこようとしない。
それは、とても巧妙にできていて、観たくないモノ、聴きたくないモノ、触りたくないモノとして存在している為に、人間意識の私は、その蓋を開けるのが怖い。
開けたら最後、どんなお化けが出てくるのかわからない。
安~い、ぼろ~い、誰が見ても、そこにお化けが隠れてるでしょって、わかるようなお化け屋敷じゃなく、絶対にこんな所には、お化けはいないよね。って、思わせてるけど、いるよね~きっとと、思わせるような気配。
そんな、何とも言えない、ねっちりとした、簡単にはいかない感覚。
でも、わかる。
この奥にいる
いるのはわかるけど、観たくない
そして問われる。
あなたは『ゼロ』に戻りたいのか?
戻りたい
そう決めたら、『自分を信じ切る』
自分とは、人間意識の方ではなく、スピリット意識の方。
鏡は、絶対に裏切らない。