明けましておめでとうございます。

KoRuRiのブログに訪問してくださり、ありがとうございます。

 

試行錯誤しながら、毎日のブログを書いております。

そんなブログを読んでくださったり、共感して頂いたり、コメントを入れてくださったり、本当に感謝しております。

昨年の自分の誕生日から書き始め、書くことにより自分自身も成長させて頂いているとつくづく感じ、逆にこのブログを書いていなければ、今の私には出会えてなかったと思っております。

 

そんな私の書くブログですが、これからも続けていきたいと思っております。

今年も、よろしくお願いします。おねがい

 

 

 

さて、今日は元旦と言うことで、初詣に行ってきました。

 

私が、この家に嫁いでからずっと行っている『幸神社』へ。

 

義母が2人の男の子を産みながらも早産だったため亡くなってしまい、次の子は絶対に元気に産まれてほしいと、この神社に通い、主人が生まれた。

そして、『幸神社』の『幸』を取って、主人の名前は付けられた。

 

私の子供は3人とも、この『幸』の字が付いている。

 

 

 

小さな神社だから、元旦当日であっても、出会うのは1件か2件のご家族くらい。

鳥居をくぐりながら歩いてすれ違う時に、「おめでとうございます」と、おのずと挨拶してしまうくらい人はいない。

 

 

昨年までの初詣では、お賽銭を投げ入れて、パンパン拍手と、

今年も、幸せでありますようにとか、家内安全とか、健康でありますようにとか、神様にお願いしていたのに、今年は、神様にお願いすることがなかった。

 

お願いより、

この体験をさせてもらっていることに感謝します。

そうとしか言えなかった。

 

 

 

初詣を終えて実家に向かい、11時頃に父を迎えに行った。

連絡してあったため、到着と同時に介護士さんが、父を車いすに乗せて玄関に向かってきた。

車いすから自動車の後部座席に、何とか自分で乗り込むことができた。

 

家に到着し、既に到着していた兄夫婦や、姪夫婦が、父を家の中に迎えてくれた。

 

私は父がもっと家に帰れたことを喜ぶかと思っていたが、なにやら淡々と座り、食べ、みんなの話しを聞いていた。

私の中では、もし父が施設の方に帰りたくないと言ってきたら、どんな大芝居をしようかと思っていたのに、のれんに腕押し、ぬかに釘状態。キョロキョロ

カニを一生懸命食べるので、2人がかりでカニの殻をむいてあげる状態。

 

そんな姿を見ながら、もうここで迎えるお正月は最後なんだと思った。

 

東京にいる、甥夫婦と2歳の息子ちゃんも、Webで参加。

 

お腹もいっぱいになって12時頃になると父が

「病院に何も言ってこずに出てきたから、心配しとるかもしれやん。」

そう言い出したので、

「病院には、3時まで外出すること、ちゃんと伝えてあるよ。」

そう伝えると、父は、「ほうか」と、納得した。

 

1時半ごろになって、再び父が、

「ここは、自分の家と違うで、帰らなあかんわ。」

そう言い出したので、みんなが一斉に、施設に帰る準備を始めた。

 

私が心配していたのとは裏腹に、父は施設が家だと、ここは懐かしい自宅ではなくなっていた。

でも、そんな父に対して、初めて父に会った姪の夫でさえ、父を私たちの世界に呼び戻そうとせず、父の世界のまま、父が帰れるように手伝ってくれた。

 

杖を使って歩く父を、義姉や姪が支えて歩いてくれ、そんな父の姿を兄が動画に取り、冷たい風の吹く中、姪はコートも着ず、姉はマスクを忘れ、バタバタの状態で父を車に乗せ、施設まで付き添ってくれた。

 

施設の玄関から迎えに出てくれた職員を見た途端、父が笑顔になり、「ただいま」と答える横顔を見て、父は幸せだと思った。

 

父の話しの中で、お風呂では、足の指の間まで洗ってもらっていると、嬉しそうに話していた笑顔が今も頭に浮かぶ。

 

 

 

母は、この家に嫁いで、初めて1人で大晦日を過ごした。

母も、1月末には私の家に来て、新しい生活が始まる。

母は、私の家に引っ越しした翌日に89歳になる。

 

 

 

何もかも、何もかも、今までの生きてきた記憶を捨て、新しい記憶に作り替えていくような感覚。

でもそれは、少しも悲しくもなく、懐かしくもなく、それどころかこの新しくリセットされた時間を、新しい方法で刻むことができることに、何とも言えない興奮を感じる。