毎月、第二火曜日に、母の病院受診に付き添う。
眼科、歯科、内科、神経内科、皮膚科、泌尿器科。
朝8時に出発し、実家に母を迎えに行き、病院に行き、受診を終えて買い物をし、母を送り、薬をお薬カレンダーにセットし、家に戻るのは夕方5時近くになる。
11月5日には、母の緑内障の手術をすべきかどうか大学病院へ受診し、結果によっては手術をすることになる。
水曜日にはテニスを3時間し、月数回、黄色いパンダでチビセミナーをする。
そんななか、父がイレウスを起こし緊急手術になり、今入院している。
集中治療室から、病棟の個室に変わって数時間後に、ベッドわきで転倒していたのを看護師さんが発見。
まだまだ点滴は入っているし、ドレーンと言う管もお腹の中に入っているし、バルーンと言うおしっこの管も入っている。
父は、せん妄と言って、麻酔をしたことや手術後であることや、いつもの生活と全く違う環境にいることで、思考が錯乱してしまっている状況にあった。
翌日、面会に行くと、父はまだ意識が混乱していて、自分の家にいるような話し方をし、目の前に何もないのに手でつかもうとしていた。
テレビをつけてあげようかと言っても、自分の部屋で見ると返事を返してきた。
こういう時、どうするといいのか。
もちろん、「そんなことダメ!」とか「どうしてそんなことするの!」
なんて言うのは、全く逆効果です。
まずは、肌に触れること。
私はまず、ベッドの足元に上がって、父の足のマッサージをしました。
ゆっくりと、丁寧に。足裏をもんだり、足首から膝に向かって、そっ~と撫でるようにマッサージをする。
気持ちいいから、父は目を閉じます。
しばらくしたら、ベッドサイドに椅子を置いて座り、次は父の手を、もみもみする。
そして、好きだった食べ物の話しや、ひ孫の動画を見せたりする。
この時、意味がわからないことを言ってきても、
「そうなんや~」
と返す。
何のことやらさっぱりわからなくても、わかったふりをして返事をする。
一切、否定をしない。とにかく話しを合わせる。
こういう時は、こちらが目を合わそうと思っても、なかなか目が合わない。
でも、できるだけ、目の焦点をこちらの目と合わせる。
で、また翌日も同じようにする。
と言うことで、今日も夕方面会に行きました。
随分落ち着いてきていました。でもまだ、病院と言うことがわかってないような、直ぐに寝てはまた覚めるという状態。
耳垢もたまっていたので、耳掃除をし、ひ孫の動画を見せ、好きな食べ物の話しをし・・・と
繰り返すうちに、随分意識がはっきりしてきて、やっと病院にいることが理解できはじめ、
テレビもつけて欲しいと言い出し、テレビを見るようになりました。
この部屋に移って直ぐに、ベッドから落ちたことを話すと、笑ってました。
こんな状況ですが、私は明日、介護職員初任者研修(以前の名前はヘルパー2級)の講義を1日する日です。その準備もありますし、もちろん今日も仕事をしてきました。
おまけに、他にもやりたいことがあるので、今、やれることをやろうと動き始めています。
で、ここまで近況報告をして、何を伝えたかったかと申しますとね。
多分、この文章を読んでいる方は、「大変だろうなぁ」とか思われませんでしたか?
そう、以前の私なら、母のことはこうで、父のことはこうして、仕事はこうしてああして、
もし、この日に何かあったらどうしようか、でもその前に何かあってもいいよに、こうしてああして・・・
と、限りなく頭の中で、言葉が走り回っていたわけです。
ところが、今の私は、以前の私ではないんです。
決定的に違うのは、自分の都合のいいようにしようとしていないことなんです。
自分の都合の良いようにと言うのは、先々まで考え、何が起きてもいいように準備したり、そうなっては困るから、そうならないように焦ったり、そういう状態。
でも、今は、何も考えていないんです。
そうしたい
と言うことをしているだけ。
疲れもなければ、焦りもない。不安も何もない状態。
だから、いつもの何もなかった時と同じ状態にあるのです。
私が色々考えたり、行動しなくても、全て宇宙が采配してくれる。
それに応じて行動していけばいい。
そんな状態です。
だから、両親に対しても、心の底から優しくなれる自分がいます。
そうしなきゃいけないとか、そうしなければならないのではなく、自然のままに。
そうやって、今回の出来事で気づいたのは、
色々な出来事があっても、それは一直線上にあるのではなくて
別々の空間で起こっているような、それも、この空間が目の前に来て、それが終われば次の空間が現れて、それが終わればまた次の空間が現れるような・・・
うまく説明できないけれど、絡み合っていないんです。
だから私は、全部の事を一度に考える必要がなく、目の前に来た空間の事だけを考えればいいので、とても楽な状態。そんな感じです。
父の体のデーターは、みるみる良くなっていってます。
もちろん、90歳と言う高齢だし、以前から少し歩いただけでしんどくなっていましたので、
何があってもおかしくない状態ではありますけどね。
それでも、父の笑顔に最後に会えた人が私じゃなく、家族全員と会えてますので、
もう望みは叶ってしまいました。