私たちは、生まれてから今まで、たくさんの情報を取り入れて、たくさんの体験をしてきた。
その取り入れた情報や、体験したことに、私たちは、『感情』と『観念』をくっつけた。
『感情』を味わうことも、『観念』を持つことも、私たちには必要だった。
『感情』を持つことで、色んな体験ができた。
『観念』を持つことで、自我を形成した。
『感情』も『観念』も、持ったからこそ、捨てた時の軽さを感じることができる。
持ったからこそ、元々持っていなかったとわかる。
全ての記憶をインナーチャイルドは、自分ひとりで、抱えてくれてた。
だから、私の事は、全て知ってる。
私が、どれだけの体験をして、どれだけ成長したのか。
そして、インナーチャイルドは、知っている。
この記憶=『観念』を持っていると、私が幸せになれないことを。
この記憶=『観念』を持っていると、私がずっと苦しむことを。
だから、愛図を送ってくる。
最初は、メディアや他人を使って見せてくる。
次は、身近な人を使って見せてくる。
それでも気づかないと、家族を使って見せてくる。
それでも気づかないと、体を使ってわからせようとする。
ある日のニュースで、母親が子供を車の中に放置し、熱中症で亡くなったと言う報道を見る。
無性に腹が立つ
「なんで、子どもを大切にしないんだ 子どもを大切に育てるのは当たり前だろう
」
そして、ふと我に返る。
なんで私は、赤の他人のことなのに、こんなに腹が立つんだ?
自分の幼少時代を振り返る。
いたいた
ちやほやされて、褒められている姉さんを見て、羨ましいと思っている自分がそこにいた。
次に生まれてくる子は、男の子だとみんなが期待したのに、女の子の私が生まれて、私なんか生まれてこなければよかったのに そう思っている私がいた。
私も、お姉ちゃんみたいに大切にしてほしかったんだ。
私のインナーチャイルドは、メディアを使って私の押し込めた気持ちを教えてくれた。
自分の母親なのに、母親の話しを聞くのが嫌で仕方がない。
自分の母親なのに、娘である私を傷つけてくる。
聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない。
母は、1人で暮らしてる。
私は毎日々通って、毎日々傷つけられる。
ある日、誰かが
「膝が痛くて座れない人は、膝を突き合わして話せる相手がいないからだよ。」と
何気なく話していたのが聞こえた。
私の母のことだ!
ふと、我に返って、幼少時代の事を思い出す。
そして、気が付いた。
母が話していることは、全て私のことだった。
インナーチャイルドが、私に伝えたいことを、母を使って私に話してたんだ!
私は、自分のインナーチャイルドと膝を突き合わせて話しをしてなかったんだ!
インナーチャイルドに閉じ込めた私の気持ち。
私が一番よく知ってたつもりだったのに・・・
だから、聞きたくなかったんだ
いつもいつも泣いてる私。
いつもいつも誰かと比べられて、いつもいつも自分はダメな人間だと思い知らされた。
どんなに、どんなに頑張っても、誰も褒めてくれない。
どんなに、どんなに頑張っても、誰も大切にしてくれない。
私なんて、いなくていいんだ。
私なんて、いても仕方ないんだ。
でも、そんな私を大切にしてくれる人が現れた。
だから、自分に言う。
「あなたは、幸せじゃない。あなたは、よく頑張っているじゃない。あなたを大切にしてくれる人がいるじゃない。何をそんなに泣く必要があるの?」
そうやって、自分で自分を励ますのに、私の心はちっとも楽にならない。
ふと、我に返って、幼少時代の事を思い出す。
そして、気が付いた。
そこには、父親が大好きな姉がいた。父親はいつも姉のことを完璧な娘だと言う。
そして、私は父親の望む娘になろうと、いつも姉のように完璧になろうとしてた私がいた。頑張っても頑張っても、父親は私を認めてくれず、完璧になれない私がいた。
私は、私のままで良かったんだ。
父親の望む娘になる必要などなかったんだ。
姉は姉。私は私。
私はいつの間にか、
「どんなに頑張っても完璧になれない、ダメな私。」
と言う呪文を、自分自身にかけてしまってたんだ。
インナーチャイルドは、そんな私の呪文を、とかそうとしてくれてたんだ。
泣いてたのは、私のインナーチャイルドで、今の私を否定していたのは、私自身だったんだ。
男兄弟ばかりで、私がたった1人の女の子。
お母さんは、小さい私を膝の上に乗せて、こう言った。
「やっと、私の味方ができた。」
私は、小さいながらに思った。
母さんは、私が守る!
だから、私は母さんのことを、ずっとずっと見張ってた。
母さんが、誰かにいじめられないか、母さんが泣いていないか。
でも、母さんは、どんなに辛くても泣いた姿を私に見せたことがなかった。
母さんは、凄い!
大人になった私は、母さんのように強く生きた。頑張った。
どんな事があっても、やりきった。
どんなに辛くても、泣かなかった。
それが私だった。
頑張り過ぎた私は、病気になった。
でも、私がやらなくっちゃ。私が頑張らなくっちゃ。
でも、病気はとても辛い。しんどい。休みたい。
その病気のせいで、ドライアイになって、目薬を片時も離せなくなった。
何で私は、こんなに頑張り続けるんだろう。
夫は、休んでいればいいと優しく声をかけてくれるのに、なんで心の底から喜べないんだろう。
ふと、我に返って、幼少時代の事を思い出す。
そして、気が付いた。
インナーチャイルドは教えてくれてたんだ。
辛い時は泣いてもいいよって。
そんなに頑張らなくても休んでいいんだよって。
夫を使って、私に自分(インナーチャイルド)の存在を知らせてくれていたのに、
私は、本当の自分の気持ちに気づいてなかったんだ。
人に甘えて良かったんだ。
辛い時は、泣いても良かったんだ。
ごめんね。やっと気づいたよ。自分の抑え込んだ感情に。
いつからか泣かなくなった私の目に、涙があふれた。