私が育った環境に、ケチな祖父がいた。

 

詳細は

下矢印

 

この祖父と両親の関係を見ていた幼い私は、

 

私の両親に、じいさんが怒鳴り散らすのは嫌だプンプン

仲良くして欲しいショボーン

 

 

多分、無意識のうちに、そう望んでいたんだと思います。

 

この図は「太陰太極図(たいいんたいきょくず)」又は「陰陽太極図(いんようたいきょくず)」と言われ、「天地万物あらゆるものは、陰と陽のバランスによって成り立っている」と言う意味を表す図だそうです。

 

光は、闇がなければ存在せず、闇は光がなければ存在しない。

と言うふうに、相反するものが存在するから、それが見える・・・みたいな感じかな。

 

 

「愛されたことがない」から「愛されたい」

 

「うまく話せない」から「うまく話せるようになりたい」

 

と言うふうに、〇〇が無いことで、〇〇を有るようにしたいと思うわけです。

 

 

 

私の場合は、

「怒鳴り散らす人は嫌い」だから「怒鳴り散らさない人がいい」

 

と、おそらく幼い私は、無意識にそう思い、その想いを

うずめちゃん(私のインナーチャイルド)に閉じ込めたわけです。

 

 

 

怒鳴り散らす人をもう少し、深堀してみます。

 

 

怒鳴り散らされると言うコトは、

 

①私の考えを無視される。

②私の存在を認めてもらえない。

③私を黙らせられる。

④私の気持ちを感じてもらえない。

⑤私を不安や恐怖にさせる。

⑥関りたくないと思わせられる。

 

こういう想いをするのが嫌だから、明らかに怒鳴る人がいると、その人を避けようとします。

 

だって、私は「怒鳴る人が嫌い」だからです。

 

もちろん誰だって、怒鳴る人は好きにはなれないとは思うんですけど、

中にはいるじゃないですか

「まぁ、まぁ、そう怒鳴らずに・・」ってなだめることができる人。

前にも話したと思いますが、地球にいる全ての人に当てはまらないことは、

 

「かたより」

 

なんです。

体の中に塩分が多く入ると、喉が渇いて水を飲みたいと思う。

それは、体の中の塩分濃度が高くなると、体調が悪くなって生命を脅かすから塩分濃度を薄めようと働く。

 

これと同じように、心も、この働きが始まります。

 

「怒鳴る人が嫌いだ」

 

そう思っている私は、こういう人がいると、とても嫌です。

だから、小さい頃からリーダータイプになって、みんなが喧嘩しないように収めようとしたんです。

 

小学校から、学級委員や会長になり、中学生でも級長や副会長になりました。

卓球部に入っても部長になります。

高校でもリーダータイプになり、色んなことを仕切ろうとします。

高校では剣道部で、それも部長になります。

看護学校でも、病院実習に行くとリーダーになります。

 

ただ、社会人になると、これと逆の事が起こります。

 

看護師として就職して2年しか経っていないのに、婦長(今でいう課長)になる研修を受けなさいと言われたのに、断って退職して違う病院で働く。

違う病院で働いたそこでも、主任になるよう言われると、結婚して辞める。

再び働きだして、手術室で主任にならないかと言われても断る。

 

今思うと、こういうふうにバランスを取ろうとしてたんだろうと思います。

 

 

でもね、ある日、主人に言われました。

 

「自分が全て正しいと思ってる。」って。

 

 

 

私、無意識のうちに

 

①私の考えを無視される。

下矢印

人の考えを無視する。

 

②私の存在を認めてもらえない。

下矢印

相手の存在を認めない。

 

③私を黙らせられる。

下矢印

相手を黙らせる

 

④私の気持ちを感じてもらえない。

下矢印

相手の気持ちを考えない

 

⑤私を不安や恐怖にさせる。

下矢印

これは逆で、何とかうまくやろうと、直ぐに親しくなろうとしてた。

 

⑥関りたくないと思わせられる。

下矢印

これも意識して、人に関わろうとしてた。

 

 

 

私、「亡くなった息子とつながる №39 色々な出来事」でも書いたように、傷つくことをとても怖れているので、自分と人の考えが違うと、自分が嫌われたと思ってしまいますから、人の意見を聴くのがとても怖かったんです。だから、人の意見を聴かないんです。

それが、自分が正しいと思っている根源でした。

 

 

だから、うずめちゃんが働き始めます。

私が、この感情を乗り越えられるタイミングになった時、

 

家族や職場や友達や知人の中に、こういう人を存在させ、私に気づかせようとします。

 

 

だから、夫に、祖父や父の姿を映し出して、見せてくるんです。

かたよりを無くすために。

 

 

怒鳴る人が嫌いだと思ったことも、自分が傷つくのが嫌で、人の気持ちを考えなかったことも

全て、そういう体験をしただけ。そういう感情を持った経験をしただけ。

自分を責める必要も、相手を責める必要もなく、そういう体験をする必要があっただけ。

 

おそらく私は、過去世でもこういう体験をしてきています。

※また、この内容については、いつか書く時がきたら書きます。

 

だから、今世ではもうこの体験とはおさらばして、私の記憶にくっついたこの感情を外して、

うずめちゃんが持っていた重たい記憶=『観念』を捨てる。

 

 

私は、大きく言うと『調和』を望んでいた。

だから、『調和でない』ことを見せられていた。

 

 

これが、この世のカラクリ。『陰と陽』

 

 

に傾くと、バランスを取ろうとを見せられ、

に傾くとバランスを取ろうとをみせられる。

 

 

もちろん、すぐに「調和」という観念に気づいたわけではありません。

 

「嫌だなショボーンと言う感情が、うずめちゃん愛図だとわかって、

とにかく、そういう感情が現れた時、そのまま放置せずに、

この感情はどんな感情だ?と

自問自答し、そう思ってもいいんだと感情の解放をして、そして捨てていった。

 

それを繰り返していったことで、

私と言う人格を作っていたのは、「みんなが仲良くしていて欲しい」と言う気持ちを作った

幼い時の環境。

 

これが私の「種」になっていた。

 

それがわかったと言うことです。