心臓の働きが、体中に血液を循環させることであるとすれば、

脳は、ケーブル配線のように、神経と言う束の中を走る電気信号を体中に循環させる働きがあると言える。

 

運動すること

考えること

言葉を話すこと

味わうこと

聞くこと

見ること

手触り、温度を感じる。

 

いわゆる、五感で感じた感覚情報を総集合させて、瞬時のうちに分析し、行動させる。

行動して、返ってきた情報を総集合させて、再び行動に移す。

 

脳が全てを支配しており脳が司令塔だと、看護師である私はそう習ってきた。

 

ただ、最近は、脳も臓器の一部であり、脳だけが指示命令をしているのではなく、脂肪も含む全ての臓器が、チームワークを取りメッセージを送りあっていることがわかってきたらしい。

※脂肪も臓器の役割だそうです。

 

 

ただ、これらの情報は、研究をした結果得られた情報であり、脳の全てがわかっていると言うことではない。

 

でも、私は、研究されていること=それが全てだと思っていた。

疑いもしなかった。

今になって、研究されていないことなんて山ほどあり、研究できないことだって山ほどあるとわかるようになった。

 

 

そして、脳どころか、この『心』に関しては、見えないモノであり、何かを証明することはとても難しいし、伝えることも難しい。

 

「心とはいったいなんなのか」

 

 

私だけでなく、たくさんの人が気づいている事でもあるが、

「私の中にはもう一人の小さな私がいる。」

 

 

「私の中には、もう一人の小さな私がいて、この私と、もう一人の小さな私がうまくコミュニケーションがとれていると、ストレスが無くなり、体は軽く健康になり、人間関係もうまくいく」

 

と言うことを、私自身が体験している。

 

 

もう一人の私とは、いわゆる「インナーチャイルド」

最初、インナーチャイルドがどういう存在のものかがわからなかった。

でも、このインナーチャイルドが、ものすごい役割をしてくれていることがわかったとき、

私は、思わず泣いてしまった。

 

 

インナーチャイルドとは、この名前の通り、『内にいる子ども』

誰がこんなにいい名前をつけたんだろうと、こんなにわかりやすい名前をつけたんだろうと

感激してしまう。

 

 

私たちは、生まれて自立できるまで、必ず誰か大人に育てられた。

その育っていく上で、必ずそれぞれの環境があり、しつけとされる方法も、学んだことも、知り得た情報も、各人がそれぞれ違う。

 

赤ちゃんとして誕生した時は、自分と自分以外の存在があることはわからずにいるが、名前を付けられ、〇〇ちゃんと呼ばれることや、パパやママと呼ぶことで、自分と自分以外という存在があることを知る。

そして、色々な体験をしながら、自分の中で、傷ついたり、我慢したり、教えられたことが正しいことだと判断したり、逆に反面教師になったり・・・

とにかく、とにかく、この見る、聞く・・・と言う五感を使って得た情報を、自分の価値観や色んな判断で、

「ここは黙っておこう」

「これは、我慢しよう」

「傷ついたけど、言わないでおこう」

と、周囲と自分の立ち位置を考えて、色んなことを封じ込めてきた。

 

私たちは、その封じ込めてきたものを「過去」の記憶として、それはあくまでも「過去」の出来事であって、記憶として残っているだけだと思っていた。

 

ところが、そうではなかった。

 

この傷ついたり、常識だと思ったことや信じたことなど一手に引き受けている場所があった。

 

それが、インナーチャイルドと言う存在。

 

 

これは、どこにいて、どんな存在なのかと言われても証明のしようがなく、出して見せるわけにもいかない。でも、私の感覚としては、胸の奥に『かたまり』として存在している。

 

 

このインナーチャイルドの役割は、子どもの頃のそういった心のさまざまな記憶を一手に引き受け、それを手放してもいい時期になったとき、私にそれを見せて少しづつ捨てさせ、最後には何も無い状態にまで戻させてくれる。

 

ただ、このインナーチャイルドに気づかないでいると、インナーチャイルドのかたまりがどんどん大きくなり、それは=体にも影響を及ぼしてくる。何故なら、インナーチャイルド自身が苦しくて仕方がなく持ちこたえられない状態になるから。

 

心のさまざまな記憶と言うのは、楽しかったこともあるが、とても苦しく傷つき、辛かった記憶もある。それをもう一度見せてくるわけであるから、いくら大人になったとしてもやはりそれを思い出したくはない。だから、手放してもいい時期と言うのは、必ずそれを見せても乗り越えることができる時期になったらということ。

 

見せると言うのは、その過去の出来事によって傷ついた時に感じた同じ感情を感じるような出来事を、今の私がいるこの環境での出来事を使って見せてくると言うことです。

 

小さい頃に傷ついた。大人になっても傷つくものは傷つく。

だのに、なぜインナーチャイルドは、それを見せ捨てさせるのか。

それは、私が「幸せ」になるため以上の、『本当の自分』とつながるために、そのかたまりがあると、心も体も重くて、到底『本当の自分』とつながることができないから。

※この『本当の自分』に対しては、後日また述べさせていただきますが、私たちは、「幸せ」以上の「幸せ」を経験できることを知らないでいるんです。

 

 

 

今のあなたが、このインナーチャイルドとどういう関係でいるのかを知ることができます。

それは、まず、胸に意識を向けた時、胸がどんな感じかでわかります。

 

私が、初めてそれを聞いた時に感じた胸の状態は

真っ平らな冷たい鉄板のような状態でした。

 

要するに、私と私のインナーチャイルドの関係は、冷め切ったまったく関係を遮断している状態だったわけです。

 

自分の感情を押し殺し、胸の中に封じ込めていた。

祖父母の関係や両親の関係、兄弟の関係、友達との関係・・・

自分の屈辱や後悔、執着・・・

 

「そんなこと、大人になったら忘れるさ。」

 

とんでもない!ずっとこのインナーチャイルドが、ひとつ残らず引き受けてくれていた。

 

 

 

そして、このインナーチャイルドが、私の心の成長度合いを考えて、

「これなら、もう見せてもいいだろう。ちょこっと痛いと感じるかもしれないけれど、これ以上ほおっておくとどんどん膨らむから、そろそろ捨てないとな。」

 

そう思った時、私の環境の中に、その記憶にくっついた感情と同じ感情を味わうような場面をみせさせてくれます。

その愛図として、必ず私の感情が動くようになっています。

 

ところが!!

このインナーチャイルドの存在は、全ての人が知っているわけではないわけです。

私自身、幸太郎の事があって初めて知ったわけで、それまで私の中にインナーチャイルドがいるなんて知りもしません。

 

だから、教えてくるんです。私とインナーチャイルドの関係を。

 

どういうふうにかと言うと、

 

職場で、私をイライラさせる人がいたとします。

その人に対して私が、いつも指示されたことができない人だと思っていたとします。

「指示される」と言うコトは、一方通行ですよね。私の意見は聞いてもらっていない状態です。

 

で、インナーチャイルドが、私に伝えたい気持ちは

「いつも私を無視している」

です。

 

そのイライラさせる人を「鏡」に使って、私の胸から出ているインナーチャイルドの気持ちを、

私に見せてきているということなんです。

 

 

初めてインナーチャイルドの事を聞かれた方は、何のことかさっぱりわからないかもしれませんが、これだけは言えるんです。

 

インナーチャイルドの存在を認め、大切にしないと

あなたの心も体も、絶対に軽くならない。

無視しても、ほおりだしても、あなたの選択の自由で、強制される必要もありませんが、

「心を穏やか」にするには、絶対の必要条件です。

これは、手から離したものが、床に落ちる引力の法則と同じように、この地球にいる限り、人間として生きている限り、どうしても逃れられないものであると言うコトは、確かです。