私たちの思考は、

 

好き」か

嫌い」か

どちらでもない

 

に分けられる。

 

又は、

 

正しい」か

間違っている」か

どちらでもない

 

に分けられる。

 

 

 

自分が生まれて、色んな経験をすると同時に、色んな情報も記憶する。

 

無意識のうちに、自分の好むモノ好まないモノどちらでもいいモノに分かれていく。

 

そして、いつの間にか、望むモノ望まないモノどちらでもいいモノに分かれていく。

 

 

 

「愛されたい」と望む心の奥には、「愛されていない」と言う望まないモノが存在する。

「お金が欲しい」と望む心の奥には、「お金がない」と言う望まないモノが存在する。

「病気を治したい」と望む心の奥には、「病気になっている」と言う望まないモノが存在する。

 

 

望むモノの裏には、必ず望まないモノが存在している。

 

この望む心と、望まない心が、摩擦、いわゆる『』を創る。

 

 

もし、あなたが望むモノ全てが、望む通りになったら、あなたにストレスは存在しない。

心は、川の流れに乗ったように、スムーズに流れていく。

 

逆に、望むことが、望むように行かない時、

心は、川の流れに逆らって、上流に向かって漕いでいるような状態になる。

 

この抵抗が、摩擦、いわゆる『』を創る。

 

 

 

 

「愛されたい」と望む心の奥には、「愛されていない」と言う望まないモノが存在する。

が、「愛されていない」とあなたが思うと言う事は、

あなたは、「愛されている」とは、どういうことかを知っていることになる。

 

「お金が欲しい」と望む心の奥には、「お金がない」と言う望まないモノが存在する。

が、「お金がない」とあなたが思うと言う事は、

あなたは、「お金がある」とは、どういうことかを知っていることになる。

 

「病気を治したい」と望む心の奥には、「病気になっている」と言う望まないモノが存在する。

が、「病気になっている」とあなたが思うと言う事は、

あなたは、「病気でない」とは、どういうことかを知っていることになる。

 

 

結果的に、あなたは、『全てを持っている』ことになる。

 

 

 

全てを持っているのに、生まれてから今まで生きてきた経験や情報の記憶の中で、

望むモノ望まないモノというモノを勝手に創り上げてしまった。

この勝手に創り上げてしまったモノが『観念』です。

 

 

観念』があることで、あなたは元々全てを持っていたのに、どちらかに傾いてしまった。

だから、心は、もとの『全てを持っている状態』=『調和のとれた状態』に戻そうとする。

 

 

 

例えば

あなたが生まれて生きてきたなかで経験したことや情報の記憶の中で

 

「世の中は甘くない」

 

と言う『観念』を持ったとする。

 

その『観念』と言う『』は、あなたを『幸せ』に導くためには邪魔になるから、

本当の私』が

「それを捨てなさい」と教えてくれる。

 

 

でも、何を捨てたらいいかわからないだろうからと、

 

「世の中は甘くない」

と言う『観念』をあなたが持っていることを知らせようと、

ヒントの入ったメッセージを送ってくる。

 

 

「世の中は甘くない」 右矢印「糖尿病」

 

ってね。