記憶は、
①短期記憶
②感覚記憶
③長期記憶
と、この3つに大きく分けられている。
その③長期記憶には、
言葉で表せない記憶と、言葉で表せる記憶がある。
その言葉で表せない記憶には
手続き記憶と、プライミング記憶というのがあり、
手続き記憶とは、箸やスプーンの使い方、自転車の乗り方のような記憶。
プライミング記憶は、無意識の記憶。
言葉で表せる記憶には、
意味記憶と、エピソード記憶というのがあり、
意味記憶は、言葉や概念。
エピソード記憶は
時間軸を伴った記憶や感情を伴った記憶。
と、いうことらしい。
私たちは、この記憶があることで、自分が誰なのか、どんな人生を歩んできたのか、
その人とどういう関係なのか・・・と、とにかく記憶があることで前に進める。
この記憶がなかったら、今、見たコト聞いたコト全て1から始まり、こういう文化は築けなかった。
でも、ひとつやっかいなことがあって、
『記憶』に『感情』がくっつくと『観念』になってしまうと言う事。
今、目の前に、赤い車が停まっていたとして
この車は、ただの赤い車。そう、ただの赤い車。
だけど、自分にとって「大っ嫌いなヤツ」や「思いっきりふられた男」が、この赤い車を乗っていた記憶があったり、自分の車にぶつかってきた車が、この赤い車だったりすると、
この赤い車が、ただの赤い車ではなく、
「大っ嫌いな赤い車」になってしまう。
上司が、父親と同じくらいの年齢の人で、その人は上司と言う存在だけなのに、
その上司が、「大っ嫌いな父親」と同じしぐさがあったり、同じコロンをつけていたり、同じようなことで怒ってくると、
会社の上司が、
「大っ嫌いな上司」になってしまう。
『観念』を外すとは、この記憶にくっついた『感情』を外すこと。
「大っ嫌いな赤い車」を、ただの赤い車にもどす。
「大っ嫌いな上司」を、ただの上司にもどす。
そうすれば、感情に振り回されなくなる。
そうすれば、楽になる。
そのためには、
「私は、何で赤い車が嫌いなんだろう。」
「私は、何で上司が嫌いなんだろう。」
そうやって、自分に質問する。
出てきた答えにまた質問する。
それを繰り返すと、くっついた『感情』の意味がわかる。
意味がわかれば、かってに外れてしまう。
もう一度、赤い車を見る。
もう一度、上司の顔を浮かべる。
心がフラットになっていたら、外せた証拠。
あなたのは、また一つ軽くなった。