2013年5月31日 金曜日 晴れ

 

 

 幸太郎の病名が、「縦隔原発胚細胞腫瘍」だと聞いた時、この病気が何なのかさっぱりわからなかった。

 自分が持っている医学書を見ても、少ししか情報は集まらなかった。

 

 

 私は、この病名をネット検索してみた。

 

 

 その中に、この病気になった医師がまさしく治療中でありその記録を残しているブログを見つけた。

 私は、幸太郎の病室にノートパソコンを持ち込んで、その医師の記録を読んだ。

10万人に1人というこの病気、医学書を見ても詳しく載っていないはずだわ。

だけど、この医師のおけかで、リアルタイムで治療方法や病状を知ることができた。

もちろん、その医師は、抗ガン治療を行って、手術をし再び医師として復帰された。その後の治療も順調に経過されていた。

 

 この医師のブログの中に「Rさん」がいた。

Rさん」の息子さんは、高校生で同じ病気に罹患していた。

 

 

 あぁ、私と同じ苦しみを持っている人がいる。ショボーン

 

 

 幸太郎が亡くなった後、「Rさん」の息子さんも亡くなられた。

その時くらいから、私はその医師のブルグにコメントを入れるようになった。

幸太郎の発病からの経過もその医師に送り、ブログに載せて頂いた。

 

 その医師が仲介役となってくださって、私は「Rさん」とメール交換をするようになった。

 

 今となっては、どんなメール交換をしていたのか思い出せないが、彼女とは今もラインでつながって「あけちゃん」と呼んでいる。

 

 

 考えてもみてくださいよ。

10万人に1人というこの病気に罹患した息子を持った母親が出会える確率って、いったいどのくらいなんだろうね。

 病院を受診しても、この病気に出会っている医師はほとんどいない。

そんな確率で、あけちゃんと出会えた。

 

 

 あけちゃんと出会えたことで、私は、『1人じゃない』そう思えた。