いったい自分の何を『捨てる』のか。
もともと、私たちには何も『無かった』。
肉体を持って、この地球で生きるためには、周波数を重くする必要があった。
それはまるで、海の底を歩くためには、潜水服(肉体)を着て、重り(重い周波数)を付けないと歩くことができないことと似ている。
どうしても私たちは、知りたかった。
海の底に何があるのか。
そこ(底)には、色んなものがあった。
「もっと色んなものを見て見たい。」
「もっと色んな事を経験したい。」
もっと深い所には、何があるんだろう・・・
これよりもっと深く潜るためには、『欲』と言う重り(周波数)を付けないと潜れない。
誰もがこぞってこの重りを手に入れようとした。
この重りを手に入れるために色んな工夫をした。努力をした。頑張った。
そこ(底)は、一見綺麗に見えるけど、暗く、重かった。
ふと上を見ると
明るい光が見える。
あの上には、何があるんだろう。
何が光ってるんだろう。
もしかして、もともと私たちがいた世界?
もう、この世界は見飽きた。
浮上するには、どうしたらいい?
「そっかこの重りを捨てれば、軽くなって上に行ける」
私たちは、再び重りを捨て始めた。
この重りが私たちの周波数を下げる。
この重りが、『観念』や『エゴ』
自分が産まれて生きてきた環境の中で、見た、聞いた、この五感を使って感じたこと、信じたこと。記憶という情報。
これが重りとなって、軽くなれない。
『捨てる』とは、この『観念』や『エゴ』のこと。