相手を変えることはできない。

 

もし、相手を変えることができたとしたら、私も変えられてしまうことになる。

 

 

 相手を変えたいという意味は、私の気に入る、私にとって都合の良い人に変わって欲しいと願っているから。

 

 相手を私にとって、都合の良い人に変えることができるなら、相手も相手にとって都合の良い私に変えられることになる。

 

 

私は、長い髪が好きなのに、相手はショートカットが良いと言う。

私は、明るい色の服が好きだと言うのに、相手は、濃い色が良いと言う。

私は今、静かに本を読んでいたいと言うのに、ドライブをしようと言う。

私は、静かに過ごすのが好きなのに、もっとはしゃげと言う。

 

 

 私が私でなくなる。

 

 

 だのに、私の気分が悪くなるのは相手が悪いと、相手を変えようとする。

矛盾が生じる。

 

 

 

では、『自分を変える』とはどういうことで、

どうなったら『自分が変わった』と言えるのか。

 

 

以前の私は、『自分を変える』と言うのは、

何かを足さなくてはいけないのだと思っていた。

 

 

 

「怒ってばかりいる私」「優しい私」に変えよう。

そのためには、いつも笑顔でいよう。

 

「直ぐにイラっとする私」「穏やかな私」に変えよう。

そのためには、いつも我慢しよう。

 

「誰かを傷つけてしまう私」「好かれる私」に変えよう。

そのためには、言葉を飲み込もう。

 

 

 3分ともたないショボーン

 

 

「何が足らないんだろう。」

「何がいけないんだろう。」

「もっと、啓発の本を読まなければいけないのか?」

「もっと、コミュニケーションの研修に行かなければいけないのか?」

 

 

今になって、

やっと、やっとわかった。

 

足すのではなく、『捨てる』

 

と、言うことが。

 

 

私は、私のままでよく

相手も、相手のままでいい。

 

 

ただ、私のこだわり執着観念に気づいて

『捨てればいい』だけ。

 

 

 ただ、それだけ。

 

それだけで、『自分を変えることができる