幸太郎の専門学校の友達から、ホテルの職員達から、たくさんの幸太郎の写真が届いた。

 

 私が知らない幸太郎だけど、だけどちっとも変っていない。

そんな幸太郎が写真として集まってくるのは、とても嬉しかった。

 

 でも、ひとつだけ、集められない写真があった。

 

 

 幸太郎は、専門学校2年の夏に、1ヶ月ホテルへ泊まりこんでの研修期間があった。

そこでの研修が最高だったことを、幸太郎は話してくれていた。

 

 そのホテルの売店で働いたこと。

そうそう、お金の札を銀行員の方のように、くりっと曲げて、手際よく数える。それを私に披露してくれた。

 最初教わった時、バラバラ~とお金をまき散らしてしまったらしく、「無理ですよ~チュー」そう言ったけど、「練習しなきゃ」。そう言われて練習したらしい。

 

 

 その売店で知り合った職員の方達と、とても意気投合して、仕事が終わったら毎日のように宿舎に集まって色々遊んだらしい。

 研修が終わる日には、号泣してしまったと。

「あんなに泣いたの初めてやった。」そう言ってた。

 

 私はてっきり、男性職員の方かと思っていたら、女性3人だったらしく、それも驚いた。

 

 幸太郎は、研修が終わって夏休みが終わるころだったか、秋ごろの連休だったか、自分で再度その人たちに会いに行っていた。それくらい彼女たちの事が大好きで、とても意気投合していた。

 

 

 私は、そこでの写真がないことに気づいて、そのホテルに理由を告げ、写真があれば欲しいことをメールで伝えた。

 返信は

「まず、最初のメールからのご返信が遅くなってしまった事を深くお詫び申し上げます。

頂いたメールのご内容、ご子息様のお写真について売店担当の者にはすぐに申し伝えたのですが、縁のあった売店担当は現在一人だけしか残っておらず、当時ご一緒に働いていた者とも連絡が取りにくいという大変歯がゆい現状でございます。

 なんとかお母様のお力になりたく、現在心あたりを探しておりますので、大変恐れ入りますが、もうしばし私どもにお時間を頂けませんでしょうか。

 また私どもの方からこちらのメールにて必ずご連絡をさせて頂きます。

ご両親様をはじめご家族の皆様にはさぞご落胆の事と存じますが、どうかお身体を大切に一日も早くお心が癒されます様お祈り致しております。

 ご子息様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。」4月9日

 

 と、丁寧なお返事を頂いた。私は、待つことにした。

 

 

 

 心友(親友)の博子さんも私も5月生まれ。毎年2人で誕生会をする。

今年は、私の誕生日に誕生会をすることになり、少しリッチなランチを楽しんで、コーヒーを飲みながら、幸太郎の事も話してた。

 

 博子さんは、うちの子ども達にとって、第二の母で、私が仕事で幼稚園の送り迎えができないとき、博子さん宅に預けたり、迎えに行ってもらったりで、幸太郎も博子さんの顔を見るだけで笑う。

 入院していた時も、何度かお見舞いに来てくれて、私がいなくても二人で話しが成立してた。そんな関係。

 

 

 コーヒーを飲みながら、たわいもない話しをしていたら、私の携帯電話が鳴った。

 

「はい、もしもし・・・ え?!びっくり

 

 幸太郎が研修したホテルの売店で一緒に働いた、ちはるちゃんだった。

 

写真は、20枚くらいあって、6月11日に、まあさんとしばちゃんと3人でうちに来てくれることになった。

 

 

 幸太郎、私の誕生日、覚えてくれてたんだ爆  笑