『パラレルワールドとは』、と検索すると

 

『ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)。

並行世界、並行宇宙、並行時空とも言う。』と書かれていた。

 

 私は、小さい頃から宇宙には興味があった。

興味があったと言っても、ただ「ニュートン」という科学雑誌を読むのが好きな程度で、突き詰めて学んだわけではない。

 

 でも、この並行宇宙と言うのは、随分前から記事にはなっていたのは覚えてる。

 

 

 今、私がこうやって過ごしているのと全く同じ世界が無限に存在すると言う。

そして、私が今この瞬間に、次の行動を選択するが、その選択方法は無限にあり、その無限の選択の向こうにその選択をした世界がまた無限に存在していると言う。

・・・と言う説明でいいのか?口笛

 

 

 色んな説があるが、私たちはもしかしたらそれを見ているけれど、それを脳が処理しきれないから見れないだけかもしれないと、テレビで放映されていたのを観た記憶がある。

 

 

 ただ、最近、私が思うのは、このパラレルワールドへの移動は、誰でもが普通に経験していることなんじゃないかと思うようになった。

 

 

 これは、『人生ゲームの攻略本 ルール2』と同じで、並行移動だけでなく、上位?高次?移動もしている。

 

 

 例えば、

 私が、いつも行動を起こすとき、「石橋を叩いて渡る」タイプだとする。

それも、「石橋を叩いて壊す」くらい慎重派だとする。

 だけど、今回は、「もう、どうにでもなれ~!!という感じで、石橋を触りもせずに思い切った行動に出たとする。

 すると、「あれ!?こんなに簡単に解決できるんだ~びっくりと、なるときがある。

これが並行移動してるんじゃないかと・・・

 

 

 もうひとつは、高次移動(?)とにかく、ルール2のように、上の階に行ける。

これは、私が持っていた『観念』や『エゴ』を捨てることで、自分の持っている周波数が軽くなり高次移動する。

 自分の持った『観念』や『エゴ』に気づくことができると、私が謝ろうと思っていたところへ相手が謝ってきたり、あんなに会議で反対していた人が賛成してくれたり・・・。

 

「へ!?ポーン」と思わず、別の世界に来たような感覚になる。

 

 

 並行移動は、今まで環状線に乗って同じルートをグルグル回っていたのに、急に線路変更が起きて、別の環状線に乗り替えた。そんなイメージ。

 並行移動は、自分の行動を変えた時に起こり、自分の問題が解決する。

そんな気がする。

 

 高次移動は、捨てて軽くなって上の階に上がるため、周りが変わって見える。もちろん、同時に問題も解決する。

そんな気がする。

 

 

 私は、科学者でもないし、立証することもできないし、感覚にすぎないけれど、

 

 でも、さっきまでこうだったのに、私が『観念』に気づいて捨てると、パン!!と、まるでずっと押し続けていた壁が、すっと消えて無くなる。

そんな感覚を味わっている。

 

 

 これは、自分以外の人の変化を求めるのではなく、

私自身が、階を上がる。

 

 1階には、いつも不機嫌なAさんがいる。

でも同時に3階には、機嫌の良いAさんが存在していて、私自身が『観念』を捨てて軽くなって3階に行ったため、機嫌の良いAさんが見えるようになり、1階の存在がなくなる。

 私は、3階で生きることになり、また『観念』を捨てて、4階に行くとAさんは夫の転勤で会社を辞めることになった。

 

 もし、私が1階にいたとしたら、私はずっとAさんの不機嫌と付き合ってうんざりする毎日を送っていた。でも、その不機嫌なAさんが何故私の前に存在しているのかわかった私は、4階に行くことができ、Aさんは私から離れて行った。

 

 

 この自分が見ている世界が変化したときが、パラレルワールドに移動できた時。

 

ならば

 

 今、自分が見ている世界が嫌なら、自分で別の世界に移動できると言うこと。