退院はしたが、通院は必要だった。

 

 既に、モルヒネも内服していたのと、軽い抗がん治療をしないと腫瘍はどんどん成長していく。そのため、私が働いていた病院にデーターを送ってもらい通院できる準備をしてもらった。

 主治医は、兄の大学時代の友人で、大学時代私の家に遊びに来ていたこともあった医師。もちろん、同じ病院で働いていたから、面識はあった。

 

 こういう時、何の因果なんだろうと考えてしまう。

私が看護師になる前から知っていた兄の友人が、息子の主治医。

中島みゆきの歌じゃないけど、縦の糸と横の糸が、複雑に絡み合っているようで本当は単純で、その糸の上を歩いていたら、出会ってまた一旦離れるけど、また出会うみたいな・・・

 でも、もうそれは決まってたんだと…

今の私にはわかる。

 

 

 幸太郎は、「歩く」という動作そのものはできたが、歩くための心臓や肺がその動作に追いつけなくなるため、歩かずにいた。だから、トイレに行くにも、お風呂に行くにも車いすが必要だった。 車椅子は、元の職場の病院から貸して頂いた。

その車椅子のサイズは、まるで測ったかのように、トイレのドアの幅、お風呂の入り口の幅にピッタリだった。

 

 

 リビングに幸太郎が寝るための簡易ベッドを設置し、そのベッドにソファをくっつけて、私はそこで寝た。

 

 

 

 幸太郎が、自分の携帯のメモを私に見せてきた。

 

『僕も笑いたい。 しゃべりたい。 冗談を言いたい。だけど、咳が出るから話せない。医師にどうにかしてもらえないか。』

 

と、そのメモには書かれていた。

 

 既に、オプソ(モルヒネ)、リン酸コデイン(咳を止める強い薬)を飲んでいて、これ以上の薬はない。咳の原因は、胸水にあった。腫瘍が胸水を貯めさせ、その胸水が咳を出させ、いったん咳き込むと、溺れたような呼吸困難になり、いつその咳が止まるかわからないほど恐怖を味わう。

 

 「うん、主治医に伝えるよ。」

 

 幸太郎、ごめん。これ以上、どうしようもないんだよ。ショボーン そう、心では言ってた。

 

 

 幸太郎が、いつものようにiPhoneにイヤホンをつけて音楽を聴いている。

 

題名は

 

 『体に優しい癒しのうた