3クール目が終了し、4クール目が近づき出すと、幸太郎の体調が再び悪くなりだした。
抗がん剤治療をしている最中は、抗がん剤の副作用で、嘔吐や体のだるさ、食欲不振と付き合わなくてはいけない。そして、治療が終わってしばらくすると、抗がん剤の効果で、ガンは少し動きを止める。でも、1週間が経ち2週間目に入ると、今度はガンが再び活動を開始する。
ひとたび咳がでると、プールで溺れているような呼吸困難に苦しむため、幸太郎は咳を誘発させないように、喋らなくなっていた。
ただ、親バカかもしれないけれど、幸太郎はそんな苦しい症状の時でも、私や誰かに当たり散らすと言うことがなかった。とにかく、とにかく耐えていた。
苦しい症状を、どうやったら最小限で抑えられるのか、それをいつも考えていたように思う。
そんな幸太郎が、とても気にいってたのは、「足湯」
医療現場では、足浴(そくよく)と言うが、足を洗うと言うより、ベッドサイドに座って、バケツのお湯の中に足をつける。これが幸太郎にとって、とても至福の時。
で、私に言うの。
「足湯、してもらえるかなぁ」って。
私はしゃがんで幸太郎の足をゆっくりさすりながら、お湯をかける。
この時私は、親であり、看護師だった。
そして、思った。
「看護師っていったいなんなんだろう。」って。
この足湯を準備するのも、足をさするのも、お湯をかけるのも、親である私がするのも
病院の看護師さんがしてくれるのも行為は同じ。
だけど、どうなんだろう。
幸太郎にとっては、やっぱり私がすることに意味があったんだろうと。
じゃあ、看護師である私が、入院している人に足湯をするのは意味がないのか?
・・・そうではないけど・・・ そうではないけど・・・
この親子と言う関係には、看護師は無力に近い。
そう思った。
入院した時の腫瘍の大きさは、このくらいだったのに、3クールの抗ガン治療をしても、幸太郎の胸の腫瘍は小さくならず、それどころかどんどん大きくなった。
腫瘍は、幸太郎の肋骨の中にある、肺や心臓、太い血管を押しつぶしてた。
そのため心臓も左に押されていった。
このレントゲン写真を見た幸太郎は、バカなんだか、アホなんだか、能天気なんだか
「うわぁ、すごっ!」
そう言いながら、自分の携帯でこのレントゲン写真の写メを撮った。
たぶん、本当にバカだったんだろうけど、でも、今の私にはわかる。
『この写真は、こうやってブログを書く、私の為に撮った写真だ。』と言うことが。
もうすぐ始まる4クール目の抗がん剤は、今までと違う抗がん剤にすることになった。
今までの抗ガン治療が、爆弾だとすれば、4クール目の抗がん剤は原爆。
『最後の賭け』だった。
なんで、幸太郎なんだろう。
なんで、私の息子なんだろう。