今思えば、私は、幸太郎が逝ってしまうことを、無意識の中で知っていたんだと思う。
何故なら、予兆と言える7つの出来事があったからだ。
【一つ目の予兆】
幸太郎が3歳くらいになったころから、私の心の中に
『この子は、20歳まで生きられるんだろうか』という、何の根拠もない不安に襲われることがあった。
早産ではあったが、何の病気をすることもなく元気に育ち、成長していってくれた。
2011年10月13日 20歳の誕生日を無事に迎えた時、ホッと胸を撫でおろし、
『私の思い過ごしだったんだ。きっとこの子は、長生きするんだ。』そう思った。
ただ、翌年の元旦の朝、家族全員揃って、お雑煮を食べる前に
「あけましておめでとう。今年もみんな健康でありますように。」 そう私が言った瞬間、
胸の中がざわついた。そのざわつきに私は、気づかない振りをした。
そして、この年の8月末に、幸太郎は入院することになった。
【二つ目の予兆】
私には、博子さんという親友がいる。
博子さんの夫と私の夫が、いとこ同士で、その嫁と言う立場で出会った。
博子さんの周りには、スピリチュアルに興味を示す知人が多く、占いやセッションというものに誘われて気が向くと参加していた。
そんな博子さんだが、私にはあまりスピリチュアルな事は、話してこなかった。
何故なら私は、超科学的思考で、スピの「ス」も知らなかったからだ。
幸太郎が発病する数ヶ月前に、博子さんが珍しく
「カバラ数秘術を使ってセッションをしてくれる人がいるよ。」そう教えてくれた。
私は、カバラもセッションと言う言葉も何のことなのかさっぱりわからいのと、特に悩みをかかえているわけでもなく、興味があるのは医学のことだけだったから、当然断った。
でもこの時、もう一人の私が、『未来の事を言われるのは怖い。』そう、思っていた。
この「セッションしてくれる人」と言うのが、りえちゃんで、切っても切れない縁を持つことになるが、この時は顔さえ知らなかった。
【三つ目の予兆】
私は循環器病棟で働いていたが49歳になって、まだ経験したことのない手術室で働いてみたいと異動願いを出し、手術室で働いていた。
手術室でも夜勤があり、待機当番があり、夜中でも救急や緊急手術があると呼び出された。手術室そのものの仕事は、私には合っていた。でも、長時間の手術、極小の針を使う脳外科の手術。ひとたび機械出し(ドクターが、メスと言ったらメスを渡す看護師のこと)担当になると緊張感の中で働くことになる。
そんな日々を過ごして1年半経った私は、たくさんのガン患者さんの手術に立ち会った。
手術の流れや機械出しの手順を覚えることで精一杯だった私だったのに、急に
『私にとっては、何人もの患者さんの一人の手術だけど、その家族の方は、この手術が上手くいくのか、そのあとの余命がどうなるのか、辛い思いをするんだろうな。』と考えるようになっていた。
【四つ目の予兆】
家で、いつものようにテレビを見ていた時、いつものようにガンの入院保険のCMが流れた。
『がんになった人や家族は、こういう保険にとても興味を持つんだろうな。』
そんなふうに思う自分自身を不思議に思った。
【五つ目の予兆】
手術室で一緒に働いているスタッフに、とてもとても悲しい出来事が起こった。
彼女は産休に入っていたが、無事出産し、検診の時には赤ちゃんを連れて、手術室まで来てくれていた。緊張した職場に、ひと時の安らぎを与えたくれた。
でも、次の検診に来た時、彼女は泣きながら「ミルクを飲んでくれない。月曜日になったら大学病院へ行ってくる。」そう言っていた。
その月曜日に出勤すると、彼女の赤ちゃんが亡くなったことを知らされた。
胸が張り裂けそうになり、悲しみに包まれた。
家に帰って夕食の支度をしようとした時、ふと
『私の子どもが亡くなったら、私はどうなるんだろう。』そう思った。
【六つ目の予兆】
博子さんは、雑貨屋の店主。私は、時折店に遊びに行く。
そこで、↓ こんな日記帳をみつけた。
今は、パソコンばかりで手書きで何かを書くことはない。物としては気にいったけれど、使うことはないなぁと思いながら、『何か日記帳に書かなければならないことがある。』
結局、この日記帳を購入することにした。
心は、ざわついた。これを購入して間もなく、幸太郎が発病した。
【七つ目の予兆】
≪おおかみこどもの雨と雪≫が2012年7月21日から映画館で放映された。
次女と2人で観に行った。
人間である花と言う女性とおおかみおとこの間に生まれた、雨(女の子)と雪(男の子)。
人間になろうとする雨と、人間に馴染めない雪。最終的に、雪はオオカミとして山に戻ることにした。
私は、この雪が、オオカミとなって山に戻る場面を観た瞬間
『幸太郎が、行ってしまう。』 そう思った。
それは、二度と会えないような、私から離れて行ってしまうような。強烈な不安に襲われた。
もう、8年経つが、今でもこの時に感じた感情は覚えている。
『幸太郎が、行ってしまう。』は、『幸太郎が、逝ってしまう。』だった。