鎧は、そももそどんなモノで出来上がっているのか。
それは、『観念』 と 『信念』 です。
『観念』は、
あなたが生まれてから、あなたを育ててくれたり、
身近にいてあなたに影響を与える存在の人からの、
しつけだったり、教育だったり。
身近にいた友達の考えであったり、
自分が読んだ本やテレビ、YouTube、新聞 等々
自分が、見た・聞いた・話した・食べた・触った という、五感を使って得た情報の中で
あなたが 「そういうものだ」 と 信じたこと です。
こう言うと、「信じたこと」 とは、「自分が正しいと思っていること」。と思いがちになりますが
そうでは、ありません。
あなたが、「正しくない」「間違っている」 と 思っていることも、「信じたこと」になります。
例えば、「仕事は、辛いものだ。」 と あなたが信じているとすると
「仕事は、楽しいものだ。」 と言うのは、あなたにとって、
正しくない、 間違っていることになります。
要するに、「正しくない」「間違っている」と言うことを、信じたことになるわけです。
でも、世界中の全ての人が、「仕事は、辛いものだ。」 と思っているでしょうか?
仕事が、楽しくて仕方ないと思っている人もいますよね。
現に私は、仕事が楽しいと思っています。
では、そもそもあなたは、「仕事は、辛いものだ。」と いつから思い始めたんでしょうか?
初めての仕事が、バイトだったかもしれませんし、社会人になっての仕事が
初めてだった方もいると思いますが、
初めて仕事をした時に 「仕事は、辛いものだ。」 と
あなたは、そう感じたのでしょうか?
たぶん、そうではないと思います。
おそらく、あなたの御両親もしくは、あなたを育ててくれた方が、
「仕事は、辛いもんだ。」 と 言っていませんでしたか?
そして、その御両親も、その両親から 「仕事は、辛いもんだ。」と
聞かされ続けていたはずです。
そうです。
あなたは、仕事をするずっと前から、「仕事は、辛いもんだ。」 と 信じていたんです。
仕事をしたこともない、ものごころついた時から。
だから、就職が決まって初めて出勤した時、既に「仕事は、辛いもんだ。」という体制から
仕事を開始していますから、あなたの五感で感じる全てが、
「仕事は、辛いものだ。」 と言う方向へ、誘導しはじめていくわけです。
だって、「仕事は、楽しいものだ。」と思ってはいけないわけですから。
人の脳には、≪脳幹網様体賦活系≫(のうかんもうようたいふかつけい)と言う、
部分があります。
この部分の働きは、
「自分にとって必要な情報だけを、取り込む」 ような働きをしています。
要するに
「興味のあることしか、見ない・聞かない」 ようになっているんです。
本屋さんへ行った時、全く興味のないジャンルの場所には行こうとしませんよね。
興味がない = 気にならない からです。
「今晩、カレーを作ろう。」 と思って、スーパーに行けば、おのずと
じゃがいもや、お肉、玉ねぎ、カレールーと 「カレーを作る」 と決めたのですから
それが出来上がるように、その材料を選びますよね。
まぁ、時々、カレーにしようと思って買い物に行ったら、刺身が安くて
カレー、やーめた と言うのはありますけどね・・・
そうーなんですよ
あなたは、「仕事は、辛いもんだ」 と 信じて決めていますから
「カレーを作る」 と 信じて決めて、材料を買ったように
「仕事は、辛い」と 思う事が、興味のあること = 気になること ですから
仕事が辛くなるような出来事ばかりを、見て・聞いて しまう。
または、他の人は楽しいと思う事でも、「辛いこと」だと意味づけしてしまうことになります。
逆に、ご両親が「仕事は、楽しいもんだ。」と言う家庭で育てられた方は、
就職する前から、「どんな仕事ができるんだろう」「どうやって、自分のスキルを活かそうか」と
ワクワクして、働き始めることになり、
少々嫌なことがあっても、そもそもそちらには 興味がない=気にならない わけですから
直ぐに「楽しいこと」に意識が向いていくわけです。
ただ、「仕事は辛い。」 も 「仕事は楽しい。」 も
どちらも『観念』なんです。