7月に入って、幸太郎がまた帰ってくることになった。

 

 私は仕事の日で、終わる時間に合わせて職場である病院の受付ホールで

待ち合わせをした。

 母親と一緒にいることを嫌がらない、そんな事が嬉しかった。

 

 胸の痛みの事が気になっていた私は、幸太郎に痛みの具合を尋ねた。

全く痛まない時もあるけど、痛む時は鎮痛剤を飲んでいるという。

そこまで痛みが続くのはおかしいと、「おじさんの所で診てもらおうか?」

そう、私は言った。

 おじさんとは私の兄で、内科の開業医の院長をしている。

 

 幸太郎は 「大丈夫やてぇ」 そう答え、受診をしなかった。

 

  やがて私は、この日受診させなかったことを

                    地獄に落ちるほど後悔することになる。

 

 大阪に戻れば、病院に行くはずがない。

   そんなこと、百も承知していたはずなのに・・・・

 

 

 それから間もなくして

  「メチャクチャ痛いんやけど、何これ」 そんなメールが届いた。

 

 直ぐに、病院へ行くように伝え、結果を教えてと返信した。

 

 が、夜になっても返事が来ない。確認すると

 「あれから痛みが嘘のように消えたから、病院へ行かなかった。」と言う。

 「まったく!!」

  そう思ったが、痛みが無くなったのなら、大したことはないんだろうと、一時的なものだろうと、安堵した。

 

 ところが、翌月の8月22日、幸太郎の胸の中に大きな腫瘍があることがわかった。

ホテルマンとして働き出して 5ヶ月だった。

 

 その日、私はいつものように仕事を終え、駐車場に向かった。

車に乗り込みエンジンをかけようとしたその時、幸太郎からメールが届いた。

 

 「近くの病院へ行ったら、大きな病院へ行けと言われた。」

 

 慌てて電話に切り替え、

「どういうことなん?」

「夜勤していたら、メチャクチャ胸が痛くなって、仕事終わってから病院へ行ったらさぁ

  レントゲン撮って・・・。 で、紹介状とレントゲンもらった。」

「レントゲンあるなら、写メで送って!」

 

 送られてきた写メを見て、茫然とした。

           「この大きな腫瘍は、いったい何?!」

 

 幸太郎は、明後日 紹介状とレントゲン持って、紹介された総合病院へ行くと言う。

 

 私は、手が震え、頭の中が真っ白になった。

「良性であって!」

 

 帰路に向かう車中、いろんな疑問、治療方法、考えられる病名で頭の中は、混乱していた。

 

 翌日、朝6時15分の特急に乗り、幸太郎のマンションに向かった。

 

 まだ、信じられなかった。

 こんなことが、私の身に起こるなんて・・・・

 

 ただ、信じたくないことではあるが、今思えば、幸太郎が発病する前、

私には、予兆があった。