動物の赤ちゃんは、お乳を自力で飲みに行きます。
直ぐに立ち上がって、おかあさんのお乳を探りに行ったり、
カンガルーやパンダのように、袋の中に入ってお乳を飲んだり。
おさるさんも、しがみついてお乳を飲みに行きます。
生きるための本能ですね。
でも人は、直ぐに立つことも、しがみつくこともできず、ただ泣きじゃくるだけです。
おかあさんが、抱っこしてくれないと、お乳が飲めないんです。
『生きるためには、愛されなくてはならなかった。』
これが、人の生きるための本能だと、私は思います。
本能的に、「この人に嫌われると、生きていけない」そう、無意識の中で思い込んでいく。
母親に好かれる、いい子どもになろう。
父親が自慢できる、いい子どもになろう。
それが、生き抜いていく方法だと考えるのかもしれません。
生まれたその環境が、どんな環境であれ、
その子どもにとっては、全世界です。その世界しか知りません。
一時的に、友達の家に泊まりに行ったとしても、それで全部がわかるわけはない。
どんな世界であっても、あなたが経験する世界は、ひとつ です。
その世界で、「しつけ」と称することを体験していきます。
「わがままを言ってはいけないのよ」と言う しつけは、腕の一部分となります。
「女の子は、女の子らしくしなさい」と言う しつけは、足の一部分となります。
「えらくなろうと思ったら、人を蹴落としてでも這い上がるのよ」と言う、親の観念は
胴体の一部になります。
この「しつけ」
「しつけ」の前か後ろに「愛」が隠されているんです。
「わがままを言うと、愛されないわよ」
「愛されたいなら、女の子らしくしなさい」
「愛されたいなら、えらくなりなさい」
条件が付いてないと、愛されないと思い込んでしまうんです。
「あなた、どんな人を恋人にしたい?」
「う~ん、そうねぇ~、優しくてぇ、面白くてぇ、男らしい人かな」
条件の付けまくり
愛した人を愛すればいいのに
やがて、この鎧は、全身にぴったりと フィットしはじめ、
着ていることさえ忘れてしまいます。
この鎧は、小さい頃は、親に守られている気持ちにしてくれます。
ところが、大きくなるにつれ、段々と動きずらく、うとましいものになっていきます。
でも、この鎧、どうもがこうが、ちょっとやそっとでは脱げないんです。
だのに、この鎧が創られた意味さえわかれば
要するに 「心の法則」 さえわかれば、
あなたが、脱ぐべきタイミングの時に、ちゃんと脱がせてくれるんです。
そして、あなたは、気づきます。
鎧を着せたのは、親ではなく『自分』であることに。