私は、息子が発症するまでの12年間、看護師として働いていた。

その職業がら、たくさんの人の死に関わってきた。

でも、「死」について真剣に考えたことがなかった。

 

 私は、人は死んだら「無」だと思っていた。

この「無」と言うのは、爆睡して目覚めた時、夢も全く覚えてない、寝むりについた時のことだけ覚えていて、寝た瞬間に朝になった時のようなそんな「無」の世界だと思っていた。目覚めたから生きていたとわかるけど、寝たまま死んでしまっていたら自分は死んだことさえわからないような、そんな「無」。

 ただ、決して、死後の世界はないと思っていたわけでもなかった。

 

 息子の死亡診断書には、平成25年3月20日 午後6時25分に死亡と記載されている。

幸太郎から、フロントの同期の女性への電話の発信履歴は同日の【20時21分】

ちょうどこの時間は、葬儀場から搬送車が病院に到着し、医師や看護師さんにあいさつをしながら、病院を出発した時間だった。

 発信履歴はもう1件あり、通夜の日の23時13分にも「112」という発信履歴が残っていた。

「112」を調べると、1972年のヨーロッパでの緊急通報用電話番号として使われていたらしい。

 

 この息子の死を境に、私は死後の世界は存在すると確信し、それに関わる本を手当たり次第に読み始めた。

 

 実は、誰にも言っていなかったことがある。

私は、幸太郎の携帯電話の中に、何かメッセージが残されいるんじゃないかと心の奥深くではわかっていた気がする。

だから、ロック解除されることをとても望んでいた。

そして、もうひとつ。

これは、親友の博子さんにしか言っていなかったことでもあるが、私は、幸太郎を産んでから成長する過程で

「この子は、20歳まで生きられるんだろうか?」

と何度も意味のわからない不安に襲われては打ち消していた。

 

 私は、幸太郎が発症した時から記録を残しておくべきだという気持ちにかられ、ずっと日記を書き続けている。

闘病生活から、「死」。そして、この携帯電話の発信だけに収まらず、息子は私にメッセージを送り続けてくれたこと。

肉体は亡くなっても、意識は存在すること。そして、それだけにとどまらず、心の世界に法則が存在し、何故人は存在しているのか。災害やコロナウイルスが存在することは、何を意味しているのか。

とにかく、その時に感じた気づきを書き続けている。

 最初は、この怪奇なことは、私と息子だけに起こっている出来事だと思っていたが、そうではなく、誰もが体験できるし体験しているのに知らないだけなんだということも学んだ。

 

 私は、このブログを3つのタイトルで分けることにした。

一つ目は、『気づき』これは、日々起こった出来事で書き残しておきたいこと。

二つ目は、『心の法則』について

三つめは、長年書き続けてきた日記をもとに、私がどうやって息子からメッセージをもらい、変化していったのかを詳細に書いていきたいと思っている。

 

 目的は、『なぜ、自分は生まれたのか』を思い出してもらうため。

 

 まだ私自身、途中経過であり、まだまだ成長するために学んでいく必要があります。

 いつか、誰かが読んでくださることを願って。