私は7年前まで、それなりに生きていた。
学校を当たり前に卒業し、当たり前に就職し、結婚し、子どもを産み育てた。
働くのは当然で、生きていくためには働かなくてはならず、しんどくても辛くても、楽しくても何でも、とにかく働かなければと思っていた。
働いて得たお金は、生活費や教育費、住宅ローンや娯楽に使う。そのために働いた。
今の生活が維持できれば御の字で、これ以上になることはないだろうと思っていた。
今思うと、「これ以上」とはいったい何を基準にしていたのだろうか。
息子の病気のことも、「なんで私の息子なんだろう。なんで私の息子じゃなくてはならなかったんだろう・・・」
そう思っていた。
自分に起こる全ては仕方がないことで、その起こる出来事に対して、どう自分をコントロールしていくかが問題であって
自分が意識すれば、自分の望む方向へ生き方を変えられるなんて思ってもみないどころか、そんなこと考えたこともなかった。
それは、まるで腕時計のよう。
いつも、身近にありいつも必要とするもので、いつも使っている。
壊れたら、新しい時計を買うか、時計屋さんに持って行って直してもらう。
何故、自分で直さないのか?
それは、時計の仕組みを知らないから直せない。
じゃあ、何故、自分の心が壊れたら、自分で治さないのか?
それは、心の仕組みを知らないから治せない。
そう、私は、「心」に、「この世」に、「宇宙」に法則があることを知らなかった。
それを教えてくれたのは、亡くなった息子だった。
葬儀が終わった夜、家族が寝静まった後、私は仏間に置いてあった息子の遺影の前に座った。
幸太郎は、携帯を肌身離さず持っていた。
自分の気持ちを落ち着かせるために音楽を聴き、トイレにも持って行っていた。
看護師である私は、息子がいつか逝ってしまうことはわかっていた。でも、息子にはそんなこと、言えなかった。
高校卒業後、三重から離れ大阪の専門学校に行き、そのまま大阪のホテルマンとして就職していたため、
幸太郎の友人や知人の詳しいことは知らなかった。
幸太郎は、闘病中も愚痴を言ったり、苦しさをぶつけたりすることはなかった。
だから、どんな気持ちでいるのかも聴くことはなかった。
でもきっと、この携帯の中に、幸太郎の生きた証があると、いつかその携帯の中を見なければならない日が来るだろうと、そう思っていた。
その携帯はブロックがかけられていて、誰も解除することができなかった。
その携帯が遺影の前に置いてあった。
「あー、充電しなきゃ・・・」
そう思って、携帯を持った瞬間、私の頭の中にカメラのフラッシュのような衝撃が走り、数字が浮かんだ。
「え!? まさか!!」
ロックが解除された。
そして、幸太郎が死後、同じフロントで働いていた同期の女性に電話をしていたことがわかった。