【魔道祖師】における骨灰と身体の考え方について | 占いworld♡エンタメ部

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明日3月17日から3月23日は春のお彼岸です。そして3月20日は春分ですね。春分は西洋占星術では宇宙元旦と言われています。お彼岸にちなんでという訳でもないのですが、魔道祖師の骨灰と身体の重要性について書いてみたいと思います。

 

中国は邑を中心とする都市国家から始まり、祖先崇拝が基盤になっているとされています。儒教の親を敬う考の精神も祖先信仰の影響を受けていると思われます。そのため親からもらった身体をとても大切にし、損なうことを非常に嫌う伝統がありました。


魔道祖師は屍が動くお話しですので、土葬が基本です。アニメ魔道祖師では温情が火刑に処されたように描かれ、金光善により灰を撒かれていました。


火葬は仏教伝来後に受け入れられていったようですが、儒教では火葬は身体の毀損行為とされました。


魔道祖師は仙人系のお話しなので儒教より道教に近いイメージだと思いますが、そのまま進めます。

 



アニメ完結編終盤の乱葬崗では温情一族の骨灰を思追たちが集め、温寧に手渡すシーンがありました。

 

 

個人的な印象なのですが、同じファンタジーでも魔道祖師は天官賜福に比べ、なんとなく歴史色が強い感じがしています。天官賜福はまだ結末を確認できていないので、あくまで現時点の感想と感覚なのですが魔道祖師よりファンタジー色が濃いように思っています。

 

以上の点から、魔道祖師中でも身体の損傷と灰にされることは日本人的感覚よりかなり重大なことなのではないかと思うのです。

 

ここで義城組に触れます。身体の損傷と言えば、薛洋です。子供時代に左手の小指を失い、その原因となった復讐を当の本人ではなく、息子と一族全てに行いました。その復讐の方法が凌遅です。

 

古代中国の刑罰は身体を傷つける刑罰が多いです。身体を損なうことを嫌う文化だからこそ、あえて身体を傷つけることが刑罰となるのかもしれません。

 

ちなみに古代中国の刑罰に五刑があります。墨(いれずみ)、劓(はなそぎ)、剕(あしきり)、宮(去勢)、大辟(死刑)の五つのうち大辟以外は身体刑(肉刑)です。

 

隋(581年~618年)の時代になると五刑は笞刑(むち打ち)、杖刑(つえ打ち)、徒刑(強制労働)、流刑(島流し)、死刑(死刑)となります。

 

魔道祖師的には隋以降の五刑があてはまる印象があります。もちろん一番重い刑は死刑なのですが、その死刑の中で最も残酷な刑罰とされるのが凌遅刑です。

 

薛洋は究極に自己中心的な人間で、復讐で常氏一族を殺害。その殺害方法も凌遅を行うなど、とても正気の沙汰とは思えない行動をしますが、小指を失うこと、つまり身体を損傷するということは、もしかすると日本人の感覚より重大で屈辱的なことなのかもしれません。

 

暁星塵の遺体は、宋嵐の意向により魂魄を供養するため荼毘に付されることとなりました。つまり火葬です。

 

身体を何より大事にする文化を考えると、薛洋によって失明した宋嵐に自分の目を譲った暁星塵の行動は、とても重いものだと言えるかもしれません。魏嬰が江澄に金丹を譲ったことと(身体とは言えないかもですが)近いものがあるのではないかと思います。

 

また、原作ではいつも穏やかな曦臣兄様が魏嬰に怒るシーンがありました。藍湛が魏嬰のために払った犠牲がどれだけ大きいものであるか、その行動に至った藍湛の気持ちを魏嬰が理解していないことへの憤りからでした。

 

 

 

暮渓山洞窟では綿綿をかばい魏嬰が焼きごての烙印で傷を負ったことに、藍湛が激しく感情を露わにします(原作)。もちろん感情の発露の原因はこの件だけではないですが、感情爆発の大きな要因であることに間違いはありません。

 

藍湛が前世の魏嬰が死んだ時に焼きごてで自らに烙印を残したのは、この暮渓山洞窟のことが繋がっているのだと思います。烙印を残すという行為は、初めて天子笑を飲み、酔った上での本音の行動です。今更ですが、魏嬰への想いの強さの証ですよね。だからこそ、それが分かってなさげな魏嬰に曦臣兄様は怒ることになる。とても賢いくせに魏嬰はその辺が猛烈にニブチンです(笑) 

 

と言うことで、もしかすると身体の維持は中国では日本人の感覚以上に重要なのかも?と思い書かせて頂きました。何にせよ魔道祖師は途中、辛くてしんどい展開が続きますが、結末以降はきっと幸せになると思えるのがとてもいいですよね。最後までお読み頂きありがとうございました。