太兵衛(平)、八右衛門(沢)、善六(沢)、又四郎(又臼谷)長平衛(長塀山:ながかべと読む。塀をかべと読ませるのは上高地の地図だけである)などの当時の元締や杣頭たちの名をとったものといわれます。
六百山は山の材の数からでたもののようです。
毎年、川流しで出される木は、多量でした。
その一方水に浸けてはいけない桶や天井板になる木材は、上高地で一部半加工された後、人の背などで、運び下ろされました。
その搬出路が徳本峠。
上高地で働く杣衆、島々から食糧や日用品を運び上げる女衆6月の夜の峠は胸のときめく逢い引きの場所だった、と古老の話が伝わります。