こんにちは~RUPISUです。


読者の皆さんはご存じでしょうけど、私の母は12年前から癌治療を
行っております。 乳がんで12年前に全摘・・
6年前に再発しリンパ節切除・・以後、転移が見られ癌細胞と共存と
いう状態を抗がん剤を使いながら続けております。


ミネラル不足や、ロキソニンなどの消炎鎮痛剤などの薬物を使用する
ことで味覚障害に陥ったことがある人も少なくは無いでしょう・・。
抗がん剤治療を行うと、その副作用で味覚障害を起こすことがあり
モルヒネなど鎮痛のための合法的薬物使用によっても満腹中枢の麻痺
なども起きることで、食の満足を得ることのできない生活を強いられる
患者さんが殆どではないでしょうか。


私の母もその状態で、食の楽しみが損なわれることで、生きている
価値そのものが半減することを間接的に見ていて実感しています。
私の父も同じく甲状腺未分化癌により亡くなりましたが、やはり
食の幸せを奪われた状態で余生をおくりました。


何のために生きているのか? と問われれば、即答できない人が
いるのかもしれませんが、「次の瞬間を活きるために食う」
だと私は思います。


その次の瞬間を活きるための達成感を得るためには、食の達成感が
必要になると思います。 しかし、この考えは甘っちょろい日本に
活きているから浮かぶことで、特に食の達成感・・うまかった!!
もう満腹・・などの満足などなくとも、腹が膨れれば何だろうが好い
という状況ではないから浮かぶ幻想のようなものかもしれません。


母も食べ物の味も分からず、満腹なのかどうなのかも感じず満足感
が得られないまま、高額な抗がん剤を毎週打ちながら、ただ時間を
過ごしているだけ・・いつ迎えるかもしれない死を恐怖するなどと
いう感覚を超えて、「こんなに楽しくないのなら死にたい」と洩らす
こともあります。
「生きがい」というものを見失うことがあるということです。


最近、芸能界での覚せい剤・麻薬の乱用事件が大きく報道され、
ショックを受けた人も多いことと思います。
その報道を見て、母は自分も合法的とはいえ薬物(モルヒネ)を
使用していることに罪悪感を覚えたようで、モルヒネの皮膚浸透薬
を貼ることを自分から止めていたようだった。

すると、同じく禁断症状でイライラ感が抑えられなくなることを
経験し、かなり落ち込んでいました。
皮膚浸透薬をまた張ることで落ち着きを取り戻しましたがイライラ
感で食べるどころの心境ではなかったということでした。


癌治療の中で辛いながらも「生かされている」という心境に至った
方はたくさんおられ得ることはよく知られています。
その心境に至り、更に前向きにその余生をおくれれば最高なように
周りから見ている人は感じるのでしょう。 
それは周りの人の目から見たその人の心境であって、本人の本心な
ど誰にも判るはずありません。
自分のことですら完全に理解できないのに他人のことが理解できる
だろうか?


書いていて想う・・この支離滅裂な文章の中に自分の思いの中に
他人の思いが見え隠れすること。

理解を進めるために何をすべきなのか?
その答えは20代前半に既に出ている・・突き進むのみ・・。


母の苦痛は理解したつもりでも何でもいい・・私や孫たち、家族や
近所、色々な人のつながりの中で自分の存在があることを前向きに
とらえ、母との時間を大切にこれからも大切にしたい。。。
そうすることで、私の中にいる母も幸せになってくれる。
孫たちの中に母の存在を記憶の中に生き続けさせることができるのです。


食の満足がなければ、別の満足を求めたくなるような状態を
作り上げるのが周りの家族のあり方だと思います。


などと、簡単に書いたようで難解?なように見えるような文章を
書きながら、母の味覚の中で一つ損なわれていない甘味・・これ
を私の手で与えてあげたく、サツマイモと小豆で甘~く味付けし
た芋寒天を作っているのでありました。

明日は母の68回目の誕生日・・・
母も私たちも満足がいくような誕生日にしたいと思います。
グッド!