あれから37年、
リアルタイムで歴史を見ていた、
そういう思いが私にはあります。
六四天安門事件の夜、
正確にはその前の日の6月3日の夜、
その日は土曜日でした。
目黒のとある中華料理屋で
知り合いのガイドブック編集者と
江南料理をつっついてました。
「もうどう見ても限界だろ、中共政府……。」
「やはり、メンツの国ですからね。」
「まあ、ゴルバチョフ訪中を見事にコケにしたからな。」
そうなんです、六四天安門事件が起きる前の5月、
国賓としてゴルバチョフが来ていました。
本来なら天安門広場と人民大会堂を
ゴルバチョフを訪れることこそが
中国にとって最高の儀礼だったのです。
ところがその天安門広場を
民主化運動の群衆が長期に渡って占拠、
鄧小平以下の首脳が激怒していたはずです。
(あるいは趙紫陽総書記だけは別の思いがあったのかもしれません。) 


なんだかブルーな気分で中華を切り上げ、
自宅に帰ってしばらくすると、 
天安門広場に装甲車が突入する映像が……。
確か夜の10時頃だったかと思います。
TV映像を眺めながら
思った通りの展開だなと思う反面、
やっちまったか、中共政府、
そんな気分になったのを思い出します。

私にとって、
第2次天安門事件は、
天安門広場に装甲車が突入した
6月3日の夜10時が始まりだと。
いや、本当を言えば、
胡耀邦前総書記が亡くなって
天安門広場で散発的に民衆が集まり出した、
あの4月こそが天安門事件の始まりだと思ってます。
ですから、いつまで経っても、
誰が名付けたのか知りませんが
六四天安門事件という呼称は
馴染めないままでいます。 


追伸
あの事件の直後とも言える8月、
上海に私はいました。
まだ、終日ホコ天になる前の南京東路、
あの通りに面した七重天賓館という、
マイナーなホテルに泊まり、
中国人に余計なことも言えず、
なんとなく上海を眺めていたっけ。