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日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

仁義なき戦い
1973年 東映
監督:深作欣二 主演:菅原文太、金子信雄、松方弘樹、梅宮辰夫

明けましておめでとうございます。
2015年は菅原文太追悼ということでこの映画から。とはいえ、この映画について書くのはかなり躊躇していた。だが、文太さんの追悼の機会しか書くきっかけもないだろうと思いペンを取る。多くのファンがいて多くの批評がいまだ残っているこの作品の自分的な切り口がみつからないというのが、躊躇していた理由だが、まあ、久しぶりに続けて観て、何を感じるかというところである。

で、私の最初のこの映画との出会いから。もちろん、封切り時は中学生で、ヤクザ映画など見る生活はしていなかった。だが、映画は気になっていて、日曜の朝にNET(現テレ朝)でやっていた東映アワーという宣伝番組をよくみていた。実際は、池玲子や杉本美樹の裸目当てだった思春期の私であるが、番組で床屋で血を流すシーンが鮮烈に飛び込んできた。そう、それが「仁義なき戦い」との出逢いだった。実際に見るのはテレビ東京の日本映画名作劇場での放映が最初だったと思う。そして、大学時代にオールナイトで全てを観てその映画の凄さをやっと理解したというところ。そして、何度も見ている。何度見てもあきないのはやはり深作監督の仁義のない、ある意味、阿呆な彼らを追う視線の素晴らしさだろう。そのねちっこいカメラに大人の鬼ごっこのような利権争いがあいまみれる。そして、高倉健、鶴田浩二という当時の飛車角抜きの東映オールスターが血を流しながらあばれまくる。そして、ラストには、その男たちのバカ騒ぎのむなしさが…。まさに活動屋の仕事がここにある。

戦後すぐの広島の闇市。菅原は進駐軍に追われる女を助ける。その女がすぐパンパンになるような世の中だった。そこでは、若いものの喧嘩が絶えなかった。菅原はいきがかりで人を殺し務所に入る。そこで、土居組の梅宮と兄弟の杯を交わすのだった。務所から出て、金を出してくれた山守組の金子の若衆になる。山守組は勢力をのばすために土居組を目標にする。梅宮のいる組だが、梅宮はうまくいかず山守組に移る。そして、流れで土居組の組長(名和宏)を菅原が襲撃するが、金子の策略で菅原は自首せざるを得なくなる。そして、務所に訪ねてきた梅宮が金子がわからんといった後、謀略で警察に追われ殺されてしまう。菅原がいない中、ヒロポン売買を勝手にやっている、渡瀬恒彦や三上真一郎が金子に反旗をだし、結果的にみな殺されていく。そして、残った松方も利権のために勝手に動き出す。そこで金子は仮釈で出てきた菅原に松方の暗殺命令をだすが、菅原は、そこで梅宮を刺したのも金子だと知り金子の本性を理解していく。菅原は松方を殺す事は出来ないが、金子は、別に手をうち簡単に松方を処刑する。松方の葬儀の席に菅原は現れ、祭壇に銃弾をぶちこみ去っていくのであった。

「仁義なき戦い」という題名は、それまで東映が撮ってきた任侠映画とは違うということを題名から語っている。戦後の日本は、ヤクザも気質も利権争いから始まったと言っていい。そこで利権を取ったものが、昭和という時代を牛耳ったのである。そこには、いらんでもいい兵隊たちの死があり、むなしさを増やしながら、大きな利権をつかんだものは太っていくという構図が、ある意味、ここにわかりやすく提示されている。そう、この戦いのあとにあるのが現在のもどかしさなのだと思う。

学生運動が敗北に終わり、気力を亡くした学生運動の落ち武者たちが、この映画に再度心ふるわしたというのも理解できるところだ。そこにはヒーローの高倉健も鶴田浩二も存在しなかった。不良番長や日活あがりやピラニア軍団であり、それがまた当時の学生たちの心にシンクロしたのは理解できる。そう、自分勝手にこの荒野をまた生きていくという力にもなったのだろう。しかし、結果、仁義をなくした戦士たちは、利権をむしばむために理想を捨てて、日本を結果的に壊してしまったということなのだろう。山守親分の大量生産みたいになってしまったのは、誰もよめなかったというところか…。

そんな背景はともかく、映画としてのシャープさは凄い映画だ。これだけの登場人物をある意味わかりやすく、キャラをたてながら動かす笠原和夫の脚本は私が語るまでもない傑作なのだが、それを動かす深作欣二の演出と化学反応をおこしたことにより、いままでにないアクティブなアクション映画ができあがったというところである。

そして、好きなシーンというか、セリフも込みで覚えてしまっているシーンがいくつもある。梅宮と菅原が務所で盃を交わすシーン。菅原が指を詰めるシーン。梅宮がガクランで殺されるシーン。松方が金子に「神輿は動くな」と説教するシーン。床屋での襲撃シーン。松方がおもちゃ屋で殺されるシーン。ラストの祭壇への銃弾を撃ち込むシーン。まさに、印象的なシーンはその化学反応の結果である。

そして、津島利章による音楽。メインテーマとともにかかる、戦後の流行歌もまた、映画の空気感をうまく作っている。そして、手持ちのカメラの多様で、追うもの、追われるものの主観的な映像になり、観客がその場にいるごとく反応できるのもこの映画の特徴である。

当時は映画不況で、先が見えなかった時代である。この映画の併営も「女番長」というスケバンポルノだから、射幸心をいかにあおって劇場に客を入れるかという時代だ。そんな中で、ある意味、限界を越えた映画を作ったということだろう。深作監督は、アドレナリンを目一杯出して一線をを越えるフィルムを仕上げたのだ。そして、この実録路線が東映プログロムピクチャーの最後の輝きであることも忘れてはならない。ある一線を越えた時、そのあとには「それ以上」はないということである。

そんなことを考えながらも2015年新春に42年前の映画に心震わされることに感動する元日であります。


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年々、一年が短くなっていく。たぶん、地球の太陽をまわる速度が年々速くなっているとしか思えない状況である。それほど、日々、やることが多く、時間がたつのも速いというのも有るのだが、今年は、このブログ、休筆期間が多くまことにもってだらしない限りの状況でした。まあ、毎日、読んでくださっている人もいるわけで、それを考えると「ごめんなさい」というところでしょうか?

その上、年末に高倉健、菅原文太という巨星が逝った事はなにか本当につらい精神状況をもたらし、もう、自分の知っている映画というものが亡くなっていくことを痛感したりしたわけであります。また、今年は、淡路恵子さんや山口淑子さん、宇津井健さんなども、鬼籍に入られ、昭和の消え行くことを実感している次第であります。そして、その追悼もしっかりまだできていなかったりもする…。そんな中、政治は安倍をはじめとした幼稚な政治家が戦争やる気満々というキチガイざた。なにか、映画でも描いてきた反戦思想は彼らに何も学習させなかったようで、本当にむなしくも有ります。

そんな中、今日は新宿ミラノ座が閉まるというニュース。これで、地続きの昔ながらのロードショー館は東京では丸の内東映(今はそういう名前ではないでしょうが)だけになったようです。私の好きな映画館というものは、亡くなったと言っていいでしょう。味気のないシネコンのスクリーンは映画の思い出(あそこで誰とみた)という記憶には残りにくい機械的なものです。まあ、フィルムではなくビデオで投影しているのですから、そこからして違うものなのですけどね…。辛い感じは年寄りですからでしょうか?

いろいろと映画環境は今年も変わり、アニメが映画興行を潤す大きなコンテンツになり、日本映画はテレビのスピンオフ的なものであったり、マンガ原作であったり、もう、映画人が作る映画が興業として成立する時代ではなくなったという事は事実として認めなくてはならない状況です。それだけに、古い映画を残すとともに伝え、新しい、映像文化を作りださなくては、本当にいけないのではないかと思う昨今。ここで、唸る私。

ただ、希望の光はビデオ機器やネットの発達により、誰でも映像が作れ発表できる場があるということです。巷ではユーチューバーなる人々もいますが、所詮、彼らが作っているのは映画ではない。もっと多くの人が1時間以上の映像コンテンツをそこに投げるようになり、作品的におもしろいものがでてくれば、状況は変わると思っています。新しい独立プロとしての映画ビジネスができないか?このあたりは考える余地はあるでしょう。とにかく、頭の悪いマスコミや小回りの利かない広告代理店の関係ないところで、新しい日本の映画ビジネスを創作しないと、もう日本の映画は蘇らない気がします。そんな事を考え、来年はなんらかの石を投げたいと思う私です。

そして、若い人に古いコンテンツをとにかくみていただきたい。映画館でなくてもいいのです。貪欲に映画を見て面白いと思う人が映画を作れば、面白いものが出来るはず。まずは、映画を見て下さい。このブログがそのための手引きになるなら、書いているかいがあるというもの。映画は多くの人生を疑似体験できます。今の政治家、企業人をみていると、まずは歴史をしらなすぎるということを良く感じます。ものごとを知らないのは、好奇心が弱いことも有るでしょうが、貪欲さが足りないからです。本を読むのもいいでしょう。特に古典は考えさせられることが多い。映画もまた同様に、古典から現代まで貪欲に見て下さい。たぶん、さまざまに今を語る事が出来るようになれるはずです。

映画を見て、作り、語る人が多くなる社会は、もっと骨太になるのではないかと私は思っています。自分の目で見て、自分で語れる人が増えれば、今のマスコミに踊らされるような国民にはならないでしょう。とにかく、私は日本映画をあきらめていません。そのことだけをいって、2014年、締めたいと思います。

また、一年間、このつたないブログを読んでいただいた皆様、感謝いたします。

三代目襲名
1974年 東映
監督:小沢茂弘 主演:高倉健、松尾嘉代、水島道太郎、田中邦衛、安藤昇、篠ひろ子

山口組三代目の続編。刑期を過ごす刑務所から始まり、三代目を襲名して神戸の海運業を任されるまでの話。実際は三部作でこの先を作りたかったらしいが、いろいろ、実名が出てくると問題もあり、その他のこともあり断念したとのこと。所詮、暴力団の話ですから、このあたりで止めといたほうがいい感じでもありますが、ラストシーンを見ると続きが見たくなる。田岡一雄の生涯はそれほど魅力的でもあるということでしょうな。この映画が作られた年に長嶋茂雄が引退。高倉健も他社出演を始めます。時代の変わり目というやつでしょうか?そんな中で撮られた作品。健さんにもいろいろ惑いがあったときじゃないかと思えるのですが、健さんは目一杯ヒーローしています。

高倉が刑務所にいる中、山口組二代目(水島)は東京で興業のもつれから荒政組に刺され、三代目は高倉に継がせろと言いこの世を去る。親分のことを聴き、高倉は朝鮮人の受刑者の腕をかり、刑務所からの脱走を図るが、刑務官の犬(室田日出男)に通報され、結果的には高知に移送になる。恩赦で早く刑務所を出るが、戦時下で公民権のない高倉は戦争にもいけず、博打場でくすぶっていた。そんな中、博打場であった男(山城新伍)に連れられ博打場にいた女浪曲士(篠)の芸を観て感動する。だが、その劇場の正月興行が荒政組のものと知り、強硬に山口組に劇場を貸せといい、いざこざになる。そんな中、終戦。生き残った若衆たちが帰ってきたが、街は戦勝国だといい気になる三国人たちが大きな顔で悪事をしていた。そこで、高倉は彼らを抑え込む自警団を作ることにし、警察も彼らを頼りにした。そして、その三国人の親分は刑務所にいた朝鮮人だったのだ。そんな中、やはり刑務所で一緒だった朝鮮人の田中が訪ねてきて、高倉をかばって殺される。高倉のところには決闘状が届くが、三国人の仁義のないやりかたに、その後高倉の若衆になる安藤が話をつけ、その場は解決する。そして、高倉は山口組三代目として襲名式を行う。彼は、みんなそれぞれに仕事を持たないとやっていけない時代だと、海運業に乗り出すが、関東からきた新興業者が邪魔をする。そこをなんとか収め、山口組は神戸の海運のまとめ役になるのだった。そして、時代は高倉に多くの課題をしいていくことになる。

正直、私は田岡一雄にそれほどの興味もないし、実際のところとこの映画がどのくらいシンクロしているのかもわからない。ただ、この映画について言えば、受刑者は戦争に行けなかったとか、ある意味、歴史の裏面が見えてくるのがおもしろいところだ。終戦のラジオを博打場で聴いているという風な画は、この映画にしかないものだろう。そう、戦争には多面的な体験がある。だからこそ、それだけの数の悲劇があると言ってもいい。田岡一雄が戦争に行って戦死していたら、日本の戦後はかなり変わったものになったかもしれない。田岡という人がそう考えられる存在であることは理解できる映画にはなっている。

中心にあるのは、親分への忠義と朝鮮人を中心とした三国人との対立、そして新しい時代のヤクザ社会の形成である。最後の部分は、この続編で描かれるべき部分だったのだろうが、作られなかったのはとても残念である。いまさら、作ろうとしても、役者もいないし、さまざまな政治的な無理もあるだろう。そこは、原作を通じて妄想するしかないのかもしれない。

東映の続きものらしく、配役が結構、前章と変わっている。一部で幹部だった水島が二代目になり、やはり高倉と同じゴンゾウだった田中が朝鮮人の務所仲間になっていたり、この辺の自由さは東映ファンならどうでもいいといったところだろう。そして、作品としてはうまくつながるから不思議だ。とはいえ、映画的には前作の山下耕作の演出の方がきめ細かく、エンターテインメントとしては秀逸である。高倉の心根みたいな部分があまり表に出てこないのが、小沢演出の弱いところのように感じる。

話に大きくかかわる三国人たちだが、皆、いまはほぼなくなった濁点がしっかり発音できないセリフになっており、様々な意味で今、この映画を公に出す事は難しいだろう。(本当に面倒くさい時代である。政治家は嘘をついていいが、差別用語はその使う場所がどうあれいけないというのは私には納得いかない。臭いものには蓋をしろとしか考えられないからだ)。その朝鮮人が騒ぐのを一括する安藤昇はワンシーンしかでてこないのだが、さすがホンマものといいますか、目でヤクザしている部分が強烈である。こういう部分がしっかりとこのフィルムを男の映画にしている。

前作に続き、あまり色気はない映画である。妻役の松尾も今一つ前に出てこないので印象が薄い。その分、浪曲師役の篠が若くきれいなのが映える。こういう雰囲気の美女も最近は少なくなったという感じだ。ただ、吹き替えの浪曲の芸の部分はいただけないが…。とはいえ、篠の映画出演作品の中でも代表作といっていいと思う。

戦中から戦後の十年位を一気にみせる映画であるが、東映としても本当は5部作くらいで見せたかったのではないだろうか?今となっては、絶対にできない企画だけに残念な気もする。高倉健としては、どうだったのか?最近の軟弱な日本映画では描かれないアウトロー伝である。とりあえずは、いつでも見られる形は残しておいてほしいものだ。

ということで、年末、健さんの映画を早足に9本書いてきた。どれもそこにいるのは、皆の知っている高倉健である。そのくらい、印象も強く、他に似たような俳優がいない逸材だったということを再認識するのだった。そして、私は、高倉健を語るには東映映画しかないと思っている。山田洋次の軟弱映画を見たり語ったりする時間があるなら、若い、活きのいい東映時代の健さんを徹底的に語ってほしいのだ。これを機会に東映ファンが若者に増えてくれることを望む次第である。

最後に、高倉健さんにここでご冥福をお祈りさせていただきます。本当に、男を魅せていただいたことうれしく思っています。ありがとございました。

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