日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -10ページ目
山口組三代目
1973年 東映
監督:山下耕作 主演:高倉健、菅原文太、松尾嘉代、丹波哲郎、田中邦衛
今年の最後、そして高倉健追悼の最後は「山口組三代目 田岡一雄」を健さんが演じた二作。作品の内容もあり、テレビの追悼ではたぶんほとんど語られなかっただろうが、健さんの東映プログラムピクチャーの中での最後のヤクザ映画といってもいい作品で、かなり重要な位置を占めている作品。当時の実録志向の中で、皆の興味のあるエグイ部分を映画にできたのが東映という会社であり、そして、健さんがやると、完全にヒーローになってしまうところは、確かに今は作り得ない、あの時代の一作である。
高倉は幼くして両親を亡くし叔父(田中春男)にひきとられ、高等小学校をでて工場で働いていたが、上司と喧嘩し飛び出すも、田中の家も厄介者扱いしているのを知り、行く所のないところを山口組二代目(丹波)の弟と出会う。彼は小学校の友人だった。彼の計らいで組のゴンゾウとして働き、田中邦衛の厄介になった。喧嘩っ早い高倉は山口組の喧嘩に自ら名乗りでていく男で、丹波に気に入られ水島道太郎に預けられ、若衆としての修行が始まる。そして、兄貴分の菅原が恋する女(松尾)を恋し、アパートにも移れるようになった。丹波の後援している相撲取りの喧嘩に高倉は乗り込み、相手の力士を傷つけ男をあげる。それで懲役1年の刑となり、戻って高倉は正式に丹波と杯をかわす。松尾と結婚し、周囲も高倉に一目を置きだす。そんな中、丹波が高倉に広沢虎造の興行をまかすことに。金の工面やら無理をして成功させるも、丹波に認めてもらえず東京の相撲部屋に身を隠す高倉。そんな中、菅原の兄(遠藤辰雄)が波紋になる。それをなんとかしようとした高倉は遠藤に刃を向ける。そこで、逆上した菅原がやってきて、仲の良い二人は合いまみれ、高倉は菅原を斬ってしまう。高倉は裁判で懲役8年を言い渡されるのだった。
田岡組長は、苦労した幼少期があるが、何事にも一生懸命な性格から今の地位を築きましたと、道徳の教科書に載せてもいいようなヒーロー映画である。まあ、モデルがまだ存命の時だし、映画化に対し反社会分子として描くわけにもいかないだろうし、そうする気もなかったのだろう。まあ、この企画で今映画が撮れないと思われる状況なのは、本当に窮屈な現映画界である。
とはいえ、田岡一雄に惹かれるというよりは、高倉健に惹かれる映画である。ただ、真っ直ぐで喧嘩に強い健さんであるが、筆下ろしのシーンがあったり、松尾にまっすぐに惚れるシーンがあったり、任侠映画のそれに比べ人間的な感じがする。とはいえ、当時の東映にしては裸のシーンが少ないのは健さん主演映画への礼儀なのか。
この映画で大事なのは菅原文太との絡みが印象的なことだ。ともに年末に鬼籍に入った二人だが、共演は数本しかない。東映生え抜きの高倉と流れ流れて東映の顔になった菅原とはやはり、ある意味、映画界での格の差があるということだと思う。(だが、俳優としての恩師として石井輝男監督がいるのは運命的なものを感じる)そんな中で、ここではセリフのやりとりも含め、二人の芝居の対峙のシーンが多く。その空気感がとても気持ち良い。二人の追悼という意味で見るなら、この映画が最も良いと思うのだが、それを書くメジャーなマスコミの記者は皆無だろう。今回の訃報の連発の中で、今の芸能マスコミの無能さも露呈していた。東映を語れる記者が皆無だということである。
作品としては全体のまとまりはいいが、特に何度も見たいものでもない。そのあたりは、実録物としてはおとなしいというところからだろう。だが、最後に、懲役8年を言い渡され「そんな軽くていいのか」という健さんの心持ちは、シリーズの次作に対しとても期待が持てるもので、印象に残る。とはいえ、BSでも、放送しない一本でしょうね。そして、DVDさえ発売されていない…東映も映画界もこの作品を健さんの黒歴史にする気でしょうか?
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ゴルゴ13
1973年 東映
監督:佐藤純彌 主演:高倉健、モセネ・ソーラビ、プリ・バナイ、ガダキチアン
さいとうたかおの有名な原作を、モデルといわれる高倉健を主演に、すべてイランロケで、高倉以外は現地俳優という異色の映画である。さいとうが、だした条件を東映がすべて飲んだ形で作られた映画だそうだ。時は、まさに映画不況の頃、こういう大胆な事をやらないと客も入らなかったのだろう。この映画12月29日の封切り、1974年の正月映画である。私も、新聞に載った広告を覚えている。スタイリッシュで観たくなる感じだったが、やはり、全編吹き替えの作品は、漫画以上のものにはならなかったということかもしれない。
イランでの犯罪王、ボア(ガタキチアン)に対し、各国秘密警察は手を焼いていた。最近は、女たちの誘拐事件もあいついでいた。そこで、彼を殺す手としてゴルゴ13と呼ばれるデューク東郷(高倉)が呼ばれた。彼は登場から、異彩を放ち、相棒に選ばれた女キャサリン(プリ・バナイ)は相手にしてもらえないで、高倉は消える。ホテルの最上階をアジトにし、ボアを自分の諜報メンバーを使って探し始める。だが、諜報部員は殺され、なかなかボアは尻尾を出さない。そのうち、現地の警察官アマン(モセネ・ソーラビ)が高倉をボア一味の犯人として追い始める。ホテルに追い詰められた時、たまたまキャサリンがいて万事休す。ただ、キャサリンは警察に捕まる。高倉は小鳥を肩に置くボアと思われる人物を狙撃するが、偽物だった。結果、ボアも高倉を狙いだすのだった。そして、つかまって拷問を受けるが、脱出。ボア一味を追いカーチェイスになる。ボアは高倉をゴルゴダの丘に導く。そこには、誘拐された女たちがいて、そこにキャサリンもいた。アマンも来て、彼がゴルゴ13と知る。キャサリンを餌に高倉を誘うが、彼女が殺されても動かない高倉だった。空からの銃撃もかわし、その場を逃れるが、ボアはみつからない。数日後、湖にバカンス中のボアの額に銃弾が撃ち込まれる。顔色も変えずに去りゆく高倉がいた。
まあ、当時の日本映画としてはよく作ったと言っていいのかもしれない。佐藤監督は、こういう大作をまとめる能力は東映の中では図抜けている。それが、後年、角川春樹からオファーがかかる要因になるといっていいだろう。だが、この映画、先にも書いた通り、オール吹き替えというのが、今一緊張感をそぐところである。また、イラン人が芝居をしているのだが、男も女も顔の違いが今一わからない。まあ、高倉が追う悪党は、肩にインコを載せているので把握できるのだが、わき役があまり前に出てこないのでそれが映画としても薄っぺらな感じになってしまっている。
あと、銃などのメカニックの撮り方も佐藤監督はこだわっていないのが残念。ハードボイルドというにはかなりかけ離れた空気感である。そして、でてくる女たちもグラマラスでなく、乳房さえも見せないのは、当時の感覚から考えてもものたりない。ゴルゴが抱くにふさわしい女くらい用意しておけ!といった感じだ。
ということで、高倉健がゴルゴ13を演じるとこうなるというところだけが見どころな感じの一篇だ。高倉は当たり前だが、極端にセリフが少ない。そこで雰囲気だけで見せてしまうのはなかなか脂が乗り切った感じだが、やはり、今になって語れない一作になってしまっているのは、全体としての映画としての失敗というところだろう。だが、映画自体は、当時かなりのヒットだったらしい。
さいとうたかおが脚本まで書いているのだが、本人も気にいらない一作になってしまったということである。題材としては、日本で作るのが難しい話ということに尽きるが、結果的には高倉健はゴルゴ13ではなく、高倉健でしかなかったというのが、映画を観た後の感想としか言いようがない。とはいえ、他に誰がどう撮るといわれても、難しすぎる題材であることは今も変わりはないが…
だが、ラスト、イランの大地に沈む夕日に向かって歩く、健さんの後姿をとらえるショットは格好いい。ここだけは、高倉健のフィルムとして語り継ぐべき部分であろう。
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侠骨一代
1967年 東映
監督:マキノ雅弘 主演:高倉健、藤純子、大木実、宮園純子、志村喬
高倉健の任侠映画の中でも、私の好きな一本だ。ストイックな健さんが母親そっくりの藤純子に何もできない様がかわいくもあり、その藤純子に最後は助けられる高倉健という構図も泣ける話である。藤純子が何度か手に持つ牛乳の瓶がとても印象的。そして、親分役が東映には珍しい志村喬というのも映画をスタイリッシュにしている原因だろう。もちろん、着流しでひとり覚悟で出入りに向かう姿は格好いい。
昭和初期、軍隊にいた高倉は戦友の大木から、「ひとりだけ頑張るな、他のものが迷惑する」といわれる。元来、周囲がみえずに目一杯生きるたちなのだ。その軍隊に一人で育ててくれた母の訃報が届く。退役して母の墓参にきたものの先が見えない高倉は命を捨てようとするが、それもかなわずルンペンの宿に世話になる。彼らに感じるところもあったが、高倉は仕事をさがすことに。そして、ルンペンの山本麟一もついてきた。そして、花街にいる母にそっくりの女(藤)にあうのだった。そこにイカサマ賭博を見破り騒ぎを起こしたことでやくざと喧嘩になる。そこには大木がいた。そして、居合わせた志村がすべてをあずかる。高倉は山本を連れ志村の組にやっかいになることにする。そして、高倉はしばらくして芝浦の工事をまかされる。入札を公平にとった仕事だったが、また邪魔が入る。志村が暴漢に襲われ、仕事ができないようにトレーラーが壊される。高倉は金の工面に走るがうまくいかない。そんな折り、訪ねてきた故郷の和尚(石山健二郎)が金を高倉に渡した。それは、藤が身を売って作ったものだと志村の娘(宮園純子)に聴き、高倉はひとり、出入りに向かう。途中、大木が制止するが、高倉は大木を斬り、ひとり喧嘩に向かい、全てを終わらすのだった。そんな中、藤は満州に向かう船の上にいた。
話は、かなり標準的な任侠映画である。ただ、ストイックという部分を、惚れた女が母に似ているという事でうまくつないでいる部分は特異である。そして、南原宏治や八名信夫などの悪役がそれほど、執拗に襲ってこないのであまりめだたない。そう、任侠映画の割には、怒りの部分は抑えてある気がする。山城新伍や長門裕之のようなうるさい狂言回しもなく、そして、高倉に惚れる宮園も、藤に嫉妬するわけではないので、全てに対し柔らかい話だ。
いうなれば、時代劇によくあるような流れであり、高倉の男としての優しさが前に出た話は、ラスト、藤純子の残した着物を着て、健さんは喧嘩に向かう事で終結する。この部分は、定型化されたシーンではあるが、とても美しい画になっている。マキノ監督ならではの美学がこういうところにみえてくるのだ。
そして、けして身体の関係になりえない、藤純子が美しくせつない。娼婦である自分を「私はだるまだよ」と卑下しながらも高倉を誘うが、ふたりに距離が保たれる感じがもどかしく、観客をよわせる。そして、石山に「高倉の母に似ている」と言われ、すべてがわかる藤のせつなさなど、・・・とても類型的だが、うまく描けている。高倉健と藤純子でしか描けないものが、このあたりにあるのだろう。…しかし、髪をほどき、ストレートの長い髪でキセルをくゆらせながら高倉健を誘う藤純子はとてもエロいです。
また、先にも書いたが、この映画を締めているのは志村喬である。東映任侠映画にはない存在感があるので、とても重厚な空気感が出来るのだ。こういう俳優は本当に今は皆無になってしまった。日本人体型のいかにも奥が深い感じが出せる人がいてこそ、高倉健のような俳優がそだったことがよくわかる。
そして、この映画の中でテーマのようにルンペンが語る一言「生きるためには命がけのはずかしさを知ることだ」かなり奥が深い。日本人が忘れ、ヒーローが産まれない要因は、そういう生き方を実践できる環境もないというところかもしれない。任侠映画は日本の心なのだ。年末年始、高倉健を観ようと思っている方に私のおすすめの一本であります。
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