1962年 大映
監督:三隅研次 主演:勝新太郎、天知茂、万里昌代、柳永二郎、島田竜三
先月、ブログ再開とか言ってしきれなかった私です。今度は、本当に再開?しかし、映画とは見なくなるとどうにかなるもので、まあ、私もそれほどの中毒ではないのでしょうな。で、今回は本気で再開なのでまずは勝新の代表作。とはいえ、彼のシリーズものとしては「悪名」につぐものである。悪名が娯楽アクション映画としてしっかり成立しているのにたいし、座頭市の居合抜きというのは静かなもので、アクションというよりは少し哲学的なものを狙ったきらいはある。つまり、主人公が目を見えないことで、世の中の本質的なものを見る的な部分である。とはいえ、会社もそれほど最初から力を入れているとは思えない。ライバルが天知茂で、市を恋するのが万里昌代という新東宝流れの役者であるからだ。それが、他のシリーズと別の色合いを作っているのも確かなのだが・・・。
勝は昔しっていた親分(柳)を訪ねてわらじを脱ぐ。柳は市の居合を知っていて、彼を上手く使おうと思っていたのだ。だが、勝は居合の実演を断ったり柳の思うようには動かなかった。勝は釣り場で浪人の天知と知り合う。天知は柳と敵対する島田の組に厄介になっていた。柳と島田は一触即発という中、柳はなにかあったら勝に手伝えと手付を渡すのだった。勝は意味のない殺生は乗り気ではなくかわそうとする。そして、相手の天知の家に行き一緒に飲んでいたりした。そんな勝を居酒屋の女(万里)は愛するようになる。出入りがあるというとき、天知が病に倒れているという報が入り、柳は勝は必要ないといって追い出す。勝は天知の見舞いに行くが天知は島田が鉄砲で勝を倒そうとするのを聞き、それはいかんと自分が戦うとでていったあとだった。天知は血を吐きながら戦う。そこに勝があらわれ、天知は一対一で戦うことを望む。結果は勝の勝ち。柳の組が結果的には勝ち、いい気になる柳がいたが、勝は盃も受けずにさるのだった。そこには一緒に旅立とうとする万里がいたが、勝はそれをさけて旅にでるのだった。
盲と病気の侍の話である。そういう意味では実に不健康だ。そして、喧嘩をしているやくざたちは、自分のことしか考えないチンピラ風情。あくまでも、そこには世情への風刺があるわけだ。それを「ばかばかしい」と思いながらもかかわらざるおえない盲目の座頭市はそんなに格好いいものではない。
勝新太郎はだからこそ、そこに魂を入れることに永年こだわったといってもいいのだろう。どこか、そこには自分に近いものが有り、どんどん同化していったという部分もあるような気がする。
とはいえ、この一作目、目の覚めるような傑作ではない。あくまでも座頭市の生き方のお披露目といったところ。だが、三隅監督はテーマ性をかなり考えて撮っている感じがする。ラストの出入りのシーンの中で、庶民が法華の太鼓をたたき祈るシーンがカットバックされているようなところは、意味深く感じるし、ラスト、柳の子分が勝を斬ろうとしドブ川に落とされ朽ちるシーンは、世情の汚れの中に醜いものが同化していくような感じもした。
そんな作品で朽ちてくライバルが天知茂なのは、ある意味、新東宝から流れてきて漂流中という感じの彼とも同化するのは偶然なのだろうか。同じく、新東宝出身の万里昌代は、ここでは美しい村娘としてお色気シーンは皆無で良い役をもらっている。彼女を語るときに「座頭市」はかかせないものであり、そういう意味では、彼女にとって最も美しい時節に勝に巡りあったのかもしれない。ここにも、私は数奇な運命を感じたりもする。
そして、バックに流れる音楽は伊福部昭である。その重厚感ある劇伴は黒澤明映画的でもある。そう考えると思い出されるのは勝がおろされた「影武者」であったりもする。そして、黒澤が座頭市を撮っていたらどんなエンターテインメントとして仕上げたのだろうかかどという妄想も広がるのだ。
そういう意味で、この一作目はすごい映画ではないが、当たり前だが、勝新太郎を語る上では絶対に必要な映画であり、座頭市=勝新太郎というありかたをここを起点にじっくり考えなければいけないのだろうなと思うわけである。
もはや、若い人は座頭市も勝新太郎も過去のものであり、触れる機会も少ないというのが本当のところだろう。まずは大映で作られた初期作品をみながら、勝新太郎を振り返ることにしよう。
- 座頭市物語 [DVD]/勝新太郎,天知茂,万里昌代

- ¥3,024
- Amazon.co.jp
