日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -37ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

はじまりのみち
2013年 松竹(製作:松竹、衛星劇場、サンライズ、静岡新聞社)
監督:原恵一 主演:加瀬亮、田中裕子、ユースケ・サンタマリア、濱田岳

木下惠介生誕100年を記念して、監督を崇拝する原監督により作られた一本。ちょうど、戦争が終わる時期の木下監督の逸話を映画化し、木下惠介の原点を見つめ直した一作。コクはないが、ちょっとした短編小説を読むような味わいのある雰囲気のある一本に仕上がっている。あくまでも原監督が木下監督へおそるおそる近づくような感じの映画である。そう、その分、木下監督のような大胆さにはかけるが真摯な映画であることには好感が持てる。

木下(加瀬)は戦時中にデビュー、国策映画を取らざるおえない状況になる。そんな中、「陸軍」のラストで母が息子の出征を見送るシーンが軍によく思われず、次の作品を没にされる。それに憤りを感じて会社をやめて故郷、浜松に帰る木下。そこには、東京から逃げてきた病床の母(田中)と兄(ユースケ)がいた。だが、戦局は追い詰められ浜松にも空襲がおこり、さらに疎開が必要になる。母をどうやって運ぶかが問題になる。加瀬の発案でリアカーでトロッコにのせられるところまで移動することに。兄と荷物持ちの便利屋(濱田)を雇う。なんとかトロッコに乗るところまで来て宿につく。トロッコが出るのが1日のび、濱田は帰るというが、そこの娘たちにいい顔するためにつきあうことに。濱田に加瀬は映画監督であることは話さなかった。加瀬は話の流れで加瀬が映画館に勤めてると思い、「陸軍」の話をはじめる。自分が出征するときに母がああやって泣くのだろうか?と感動した話を加瀬の前でしたのだ。あまり、濱田にいい印象をもたなかった加瀬だが、彼に映画を撮ることの魅力を思い出さされる。疎開先につき、田中は加瀬に「映画を撮りなさい」というのだった。加瀬は現場に戻ることを決める。

原監督が木下をこよなく愛することは、テレビの番組で知っていた。その思いは、この映画の底力にはなっている感じだ。けして派手ではないが、なにか強いパワーが宿っている。そして、役者たちも、しっかりとその思いを受けるようにいい芝居をしている。

加瀬はけして木下惠介に似てはいないが、まあ許せる範囲内だろう。便利屋の濱田がこの映画のテーマを語る狂言回しでうまく機能している。「陸軍」の話を作った本人と知らずに話すシーンはなかなかの名シーンである。映画監督だったら、こういうことは結構あるのではないかと思わせる話だ。戦時中など、監督の顔を知ってるものなど皆無だったろうし・・。

ただ、話としては地味である。映画監督の現場で悩むわけではないし、木下惠介生誕100年を記念する映画としてはどうなのだろうか?と思うところもある。木下惠介の映画感みたいなものを、もうすこし映画の中に詰めて欲しかった気もする。

旅館の娘の役で松岡茉優が出ているが、なかなか印象的であった。(ちょうど、この映画が封切られた頃、「あまちゃん」にでていたころである。ちなみに木下の妹役で山下リオもでている)彼女は結構、昭和の顔をしているのだろう。

ラスト、戦後の木下映画が次々に映し出されるが、これは必要か?もっと、映画の中にオマージュ的なシーンをつめたほうが面白かった気はする。途中、宮崎あおいの教師がでてくるが、これは「二十四の瞳」を彷彿させた。そう、こんなシーンが積み重なっていた方が私には興味深かった。

原監督は、この大仕事をかなり慎重に取り組んだようにおもわれるが、アニメだけでなく実写も撮れることを実証した。また違う形で、ぜひ、挑んでいただきたいと感じさせる一作である。

結局、残念なのは、この映画を見て、若い人が木下惠介に興味を持つか?といえば、そうはならないだろうと思われるところなのだ・・・。

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モンローのような女
1964年 松竹
監督:渋谷実 主演:真理明美、佐田啓二、千之赫子、森光子、山本圭

真理明美の映画デビュー作。そして、この年の1月1日の正月映画でもある。とはいえ、題名で客を引きつける感じだったのだろうと思われる。舟橋聖一の同名原作の映画化。真理明美という女優をSEXシンボル的に売り出したかったのだろうが、それには失敗している。渋谷実のなにか古臭い喜劇体質が彼女とあっていないというのもあるが、やはり彼女自体にあまり魅力がない感じなのだ。そして、この映画エンドマークに「第一部 終」とある。つまり、続編も作る気でいたができなかったものらしい。

真里は高校生。路面電車にかかわる飲んだくれの父(笠智衆)と精神病院に入院する母(賀原夏子)がいた。お金に困っている彼女に飲み屋をやっている叔母(森)は働かせたいと思っていたが、汚い商売はやりたくなかった。そして、その店の客のカメラマン(佐田)は彼女の身体にほれてヌードを撮らせてくれと言っていた。断っていた真里だが、金のためと森の店で働く千之につきあって水着姿の写真を撮る。取られた写真は評判になる。森の息子の山本は真理が好きだったので嫉妬もあり、森の気に食わないのもあり、家出する。真里はさらに金を稼ごうと違う写真家のところに行くが、ただのスケベで逃げ出す。賀原は精神病院を抜け出す。笠は酒に酔いつぶれる。真里はヌードにでもなんでもなってやる。生まれ変わるんだと佐多の前で全裸になるのだった。

まあ、時代もあり、恵まれない娘が裸になって売り出す話だ。もちろん、モンローへのオマージュなのだろう。

映画の冒頭、ネグリジェの女がでてくる。これがモンローのような女かと思ったら、森光子である。もう、いい歳をして女を使って商売しようとする女の役だ。芸達者な森というところだ。この森のやってる居酒屋の売りが、タイルばりの風呂にカップルで入れるというもの。つれこみホテルではないが、気軽に楽しむ施設というところ。まだまだ家に風呂がなかった時代のお話である。(それをしらないと、このサービスの意味はわからない)

そして、本当のモンローのような女役の真里だが、昨日書いた二作目同様に、モンローにしては地味すぎる。最初にスクール水着のようなものを着て、次は腰まであるパンツのセパレーツ。最後は肩までだすものの、この映画を見て真里をSEXシンボルのように思った人は少ないだろう。

原作は、あきらかにモンローへのオマージュだろうから、真里にそれをやらせた理由がよくわからない。まあ、当時の女優にしたら色っぽかったというところか?とはいえ、彼女、表情に乏しいのだ。まあ、山本や笠の同僚の川津祐介が惚れる感じはわかるが、その若いふたりといい関係にならないのはおもしろみにかける。

佐多啓二もカメラマンとしてだけでなく、彼女に惚れている感じなのだろうが、どうもそこに恋人的な空気感がないのがどうもひきつけられない理由だろう。結果的には渋谷監督の演出がこの時代についていけなくなったというところもある気がする。「てんやわんや」での淡島千景ほど、真理明美が女優としてできなかったのもあるが、古い映画の方がエロいのはもうどうしようもない気がする。

1964年は東京オリンピックのあった高度成長期の象徴的な年である。そんな中、映画産業はテレビにくわれ出す。その迷いを少しかいまみれる作品と考えれば、まあ理解ができる一作ではあるが、失敗作であることにはかわりない。

あくまでも、真理明美を魅力的に取れなかったことが敗因ではあるが・・・・。
太陽を抱く女
1964年 松竹
監督:番匠義彰 主演:真理明美、佐野周二、久保菜穂子、杉浦直樹、三ツ矢歌子

真理明美の売り出し第二弾。だが、けして彼女が前に出ていない感じの作品。周囲の男たちがみな真里に興味を持ってしまうというのは少し違和感がある。確かに真理は綺麗だし、スタイルもいいが、久保や三ツ矢、そして清水まゆみら脇を固める女優たちの方が存在感はある。ということで、結局、彼女はスター路線を歩むことはなかったということなのだろう。

真里は北海道から、佐野の家にお手伝いさんでやってきた。佐野の昔の知り合いの娘さんだった。佐野の家は長男(柳沢真一)と妻の久保、結婚に敗れてひがみっぽい三ツ矢、そして絵の修行中の次男(小坂一也)と大学生の三男(山本豊三)の大所帯だった。そんな中、真里は仕事もし、料理もうまく、皆の気を引いた。そして、柳沢がある日、真里を仕事場のテレビ局につれだす。そして、ファッションモデルを真里に頼むのだった。久保はそれを見て、真里が家庭を騒がしているのを心配する。そんな中、三ツ矢の見合いが進んでいた。相手の杉浦は天ぷら屋をやっている次女(清水まゆみ)の紹介だった。久保はその清水の家の手伝いに真里を貸すことにする。しかし、一家の男たちは、みなてんぷら屋に出入りする始末。そして、真里は小坂の絵のモデルをたのまれる。そして、柳沢はさらに真里を仕事で使おうとするがなかなか良い返事が貰えなかった。そこで、清水の夫(菅原文太)に仲買を頼むが、それがばれ、菅原の浮気もバレて清水が家をでていってしまうはめに。そして、小坂の絵がコンクールで特選になる。杉浦との結婚を決めた三ツ矢は杉浦の工場に行くと、その絵が届く。三ツ矢は杉浦の心が真里にあると思い、結婚をやめようとする。そんなトラブルを知った真里は家をでていってしまうのだった。しかし、その時、真理の母親(沢村貞子)が東京にやってくる。みなで真里を探すのだった。そして、例の絵が自宅に届く。山本が杉浦から譲り受けたのだ。杉浦は兄弟になる小坂のために絵を買ったという。すべての誤解は溶け、真里もみつかり、また一家の一員になるのだった。

真理明美という女優は、私はテレビで知っていたが、その最初は映画で売りだそうとされたことはよく知らなかった。題名から見ても、真里が太陽のようなスターになれというようなイメージが会社にはあったのだろう。だが、実際は、最近のモデルあがりの綺麗なだけの今一、パンチに欠ける存在といった感じだ。なにか、多くのスターの中に入ってくすぶってしまってる感は拭えない。

松竹的には、自社の女優が配されていない分、彼女を目立たせようとしたのかもしれないが、久保も三ツ矢も清水も主役をはったことのある女優であり、彼女は完全にここでは存在感で負けている。だから、みなが、真理にぞっこんという話に無理がある。その上、彼女とデートするようなシーンは佐野周二にしか与えられていないので、あまりにも不自然である。

まあ、番匠監督の映画だから、特に期待もしないのだが、もうすこし、監督として真理を前に出す演出ができなかったのかと思うわけである。最後に誰かに恋心がある的にしないと、話全体もしまらないような感じになってしまっている。テレビの出来の悪いホームドラマという感じであり、そうすると題名は詐欺のような気がする。

そんな中、ちょっとおもしろかったのが、てんぷら屋の主人の役の菅原文太である。松竹時代の彼はものやわらかな役が多いのだが、ここでの浮気がばれていいわけするような芝居は、トラック野郎の星桃次郎を彷彿させる。そう、あのキャラクターは菅原にもともとあったものだったのだということがよくわかるのだ。菅原文太研究をなされる方は必見の作品である。

出演者が多くて、交通整理するのがやっとという感じの作品である。そういう意味では主役の真理明美には不幸な第二作だっだのではないだろうか?