日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -33ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

渡り鳥いつまた帰る
1960年 日活
監督:斎藤武市 主演:小林旭、浅丘ルリ子、宍戸錠、金子信雄、南田洋子

「渡り鳥シリーズ」第三作目。原健三郎が原作に戻る。そして、舞台は一作目に宣言していた佐渡。そういう意味では、二作目よりも先にあった企画なのかもしれない。だが、話は続きではないし、佐渡という名前こそ出てくるが、警察さえ介入しない無国籍性の強いものになっている。とはいえ、悪党の金子が、戦争中に埋めた金塊を目当てに動いているのは、日本的な話なのだが・・・。

佐渡、馬に乗った流れ者の旭はキャバレーの喧嘩の仲裁に入る。喧嘩の主は旭を弟の敵とおいかけてきた錠だった。そして、旭を追いかけてきた女(中原早苗)もいた。旭は二人とはかかわらずにいた。次の日、トラックが旭を脅かす。いかった旭は鉱山の管理会社に。そこにはキャバレーにいた金子が番頭としていた。主の南田はなにか歯切れが悪い。その妹(浅丘)は前の日に南田の息子と旭にあっていて、旭は彼女からこの家が脅かされている状況を知る。旭は詳しく探るために銃の腕をみせて金子に取り入る。錠もついてくる。金子は廃坑を勝手に掘っていた。そこには戦争中に埋めた財宝が埋まっていたのだ。旭は会社の仕事を立て直し、金子にも自分のいうことを聞くように言う。金子は東京から殺し屋(内田良平)を連れてくる。金子の部下が仕事を失敗し内田に殺される。その死体を見て、弟のやり口と同じだと錠が騒ぐ。金子は旭がやったと嘘をつき錠と旭をともに殺そうと企む。ふたりが撃ち合う状況ができるが、他から銃弾が飛んでくる。そして旭は海に沈み行方不明。南田や浅丘は旭が消え沈み込む。金子らは財宝を発見、運ぼうとするが、それを止めたのは旭だった。金子たちは最後に南田の息子(島津雅彦)を誘拐し旭たちをさそいだす。そして、旭は金子たちを殺し、錠も敵が内田だと知り、自分の手で銃弾を打ち込むのだった。街に平和が戻り、旭が祭りで歌を歌う中、中原が追いかけてくる。旭は浅丘に挨拶し逃げるのだった。ひとり船に乗り旅立つ旭だった。

完成されたルーティーンをなぞった安心してみてられる作品だ。そして、悪役の金子をはじめ、浅丘、中原、内田、川地民夫など、脇も日活らしい布陣で固められているので、「渡り鳥シリーズ」とはなにかを解くにはよい一作である。

佐渡には鉱山があり、そこに戦争時になにかを埋めたというような話は本当にありそうな話ではある。この映画の中では金塊がでてくるが、こういう話はいまだにあるような気がする。未だに徳川埋蔵金とか言ってる人も多いわけだからね。不景気になると、穴掘りブームがくるかもしれない。

そんな中、悪党と旭のやりとりは上手くわかりやすく、描かれている。旭が金子たちを押さえ付けるのに高圧線を使ったりするのはあたらしいところ。監督も、いろいろとシリーズのマンネリ化を防ごうとしたのだろう。旭が一瞬死んだ形になるのも話の中では新しいし「いつでてくるのか」という期待を観客に持たせる。

金子は金塊目当てで出るが、結局は南田目当てだったようで、そういうところは少し陳腐にも感じる。金子とキャバレーをやっている楠郁子もグルなのだが、最後に出てこないのはちょっと適当感がある。楠は最初のうちは意味ありげに出てくるので、使い方がもったいない気もする。まあ、いてもいなくてもよいという感じになってしまっているのだ。そういう意味では旭を追いかけてくる中原も、最後に祭りの中で旭を追いかけるシーンのためにでてくるようで、事件に関わってこないのは無駄なキャラな感じである。

そういうムダが多い分、浅丘ルリ子と対峙するシーンが少なく、浅丘が旭に惚れる感じはいまひとつわかりかねる。彼女があまり魅力的に映らないのだ。とはいえ、最後の佐渡おけさの格好ででてくる浅丘は美しい。ラスト、たぶん島の協力で祭りのモブシーンを撮ったのだろうが、渡り鳥らしいラストである。

南田の息子をやっている島津雅彦は小津安二郎の「お早よう」にもでてくる当時の名子役。渡り鳥には子役も欠かせない。ここでは旭が島津に「俺は渡り鳥だ」と話すシーンがあったりする。

ラストで旭の横で歌っているのは、こまどり姉妹である。キャバレーのシーンでも「浅草姉妹」を歌っている。ロケにも参加、スタジオでも一曲という感じの出演だ。

旭も主題曲「ギターを持った渡り鳥」と最後の「佐渡おけさ」で歌もしっかり披露している。ギターがなると、錠や中原が「旭がきた」と動くさまは、ルーティーンだがおもしろい。そして、ギター自身も殺陣の際に有効に使われだしている。そう、ふりまわしても壊れないギターである。

何も言わずにひとり旅立つ旭に観客は次を活躍を期待したのだろう。そういう見せ方としてはなかなかの好編だ。


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口笛が流れる港町
1960年 日活
監督:斎藤武市 主演:小林旭、宍戸錠、浅丘ルリ子、山内明、小高雄二

「渡り鳥シリーズ」第二作。1960年の1月3日封切りの正月第二弾である。だが、題名に「渡り鳥」とついていないのは、いまだシリーズ化があやふやだったのかもしれない。ただ、ここで、小林と宍戸の関係もほぼできあがり、舞台は宮崎にも関わらず、土地の名前を誰も言わず、確実に無国籍化している。最初とラストが西部劇みたいなのもその方向性なのだろう。そして、この映画が封切られた一ヶ月後には「流れ者」シリーズも始まっている。ダイアモンドラインが最も輝きを放った年は渡り鳥がはばたいた年といっても良い。

迷子になった馬に乗って旭が歩いていると、錠が銃を放つ。旭は軽く相手をする。ふたりは何か運命的なものを感じる。馬に任せて着いた先は落ちぶれた牧場。そこにヤクザが測量に来る。旭がそれを止める。そして錠もそこにやってくる。牧場の持ち主はヤクザの山内に博打で借金を背負わされ牧場を取られそうになっていたのだ。その日もいかさまでやられているのを旭がすべての金を回収し彼に渡した。山内は、その主の妹(浅丘)も狙っていた。そんな中、旭は山内に錠を殺すようにいわれる。錠になにか弱みを握られているようだった。旭は錠と対峙し、錠が牧場主を殺したことになっているが、実際は殺したのは錠ではないことをきく。そして、牧場の権利書を持って山内のところに行く旭だったが、錠とともに地下室に放り込まれてしまう。それを救ったのは踊り子の白木マリであった。旭が山内の部屋に行くと、山内は浅丘を襲っているところだった。それは止められるが、錠と旭は勝負させられることに。勝負をつけようとするそのとき、別の銃口が錠に向いていることを察知した旭が錠を救うのだった。そこに警察が来て山内と錠は連れて行かれる。旭は馬に乗って去っていくのだった。

旭と錠のライバル関係の明確化、そして、西部劇的な要素の強化でこのシリーズの形がここでほぼできあがる。舞台はフェニックスがあることから宮崎らしいのはわかるがそれが語られることはない。そして、牧場の権利をめぐるヤクザのいやがらせというのもわかりやすい題材だ。ただ、牧場で温泉を掘るという設定は無国籍とは言え日本映画である。

まず、冒頭で旭が馬に乗ってやってくるところを錠がちょっかいを出すシーンは有名なシーンだ。ここで旭は挨拶返しに錠の帽子を銃弾でとばす。こういう小細工的なシーンを積み重ねて観客を楽しませていく典型だろう。そして、宍戸錠のイロも明確になってきているのだ。

そして、綺麗な牧場の娘が浅丘ルリ子だが、東京から帰ってくるのが飛行機というのはなかなかのお嬢様ぶりである。当時の地方空港など、ここにでてくるように何もない感じだったのだろうと思われる。そして、この映画に出てくる港はこの空港だけだ。

ダンサーも白木マリがいつもの振り付けのダンスを踊り、旭の歌もなかなかいいバランスで流れる。主題歌は映画タイトルのものだが、「ギターを持った渡り鳥」も中で歌われている。そういう意味で、主人公の滝伸次というキャラクターの位置が明確になり、まあ、無名のヒーローが街を助けるルーティーンが完成している。で、この映画では原健三郎はかんでいない。そういう意味では、原が最初に投げたものとはかなり変わった形でこのヒーローは完成したものと思われる。

まあ、見所は旭と錠の丁々発止であり、その意味では、悪役の山内明はあまり大したことのない色きちがいのボスという感じである。日活アクションの悪役としたらちょっと物足りないか・・・。

ラストの錠と旭の対決は、ブランデーに放った火が消えたら銃を持つというもの。こういう仕掛けは日活アクションの見所でもあり、他社に比べて圧倒的にセンスを感じる。全体には、どうってことのないつじつまの合わぬところも多いアクション劇だが、端々のこういうシークエンスの作り方は、斎藤監督のこだわりを感じたりもするわけである。とにかく、この映画で渡り鳥の形は完成し、自社他社を問わず他の同時期の映画に影響を与えていくわけである。

で、「口笛が流れる港町」というが、港がでてこない・・・・、何故にこの題名?

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ギターを持った渡り鳥
1959年 日活
監督:斎藤武市 主演:小林旭、浅丘ルリ子、金子信雄、宍戸錠、中原早苗

「南国土佐を後にして」の二ヶ月後に作られた、「渡り鳥シリーズ第一作」。前作が川内康範原作なのに対し、こちらは原作、小川英で脚本、山崎巌と原健三郎。そう、最後は議員生活を長く勤めた原が渡り鳥の生みの親とされていたのは、ここで登場するからだ。舞台は函館。夜景や函館山からの眺望がなかなか印象的に出てくる。役者は前作に登場した面々が中心で、それに用心棒の宍戸錠、キャバレーのダンサーの白木マリも加わり、日活アクションらしい布陣が安定感を作品に与えている。

旭は函館にやってきた。そこで流しの男(野呂圭介)を助けたことで、資産家の金子から働かないかと言われるが断る。その金子の娘(浅丘)は旭に興味を持つ。流しをしていた旭は金子の子分ともめる。それで、しかたなく金子のもとにやっかいになる。最初の仕事はアミューズメントを作るために漁師の家を立ち退かせる仕事だった。「船をとられ家までとるのか」という妻(中原)は金子の妹だった。旭は、金子のやっていることに怒りを感じ始める。そこに用心棒で錠が雇われてくる。錠は旭を「どこかで見た」という。錠は旭にダイスで勝負をさせる。旭がただものでないのはわかった。そして、金子は錠と旭を麻薬密輸の取引で海にの載せる。そこで、錠は旭が神戸で刑事だったことを思い出すが、巡視船がきて二人の勝負はおあずけになる。その夜、中原の夫が溺死体であがる。そして、金子はいろいろ知りすぎた旭と錠を殺そうと図るが、金子のキャバレーに旭がやってくる。金子は旭を追い詰めたが、錠が金子に銃弾をあびせるのだった。錠は旭に勝負を申し込む。錠の拳銃ははじかれ勝負アリ。旭は佐渡に向かうと言って船に乗った。浅丘は旭が帰ってこないことをさとっていた。

どこからともなく地方都市に現れた喧嘩が強い男が、その街の黒い話にクビをつっこみ解決してまた旅立っていく。だから「渡り鳥」という。そして、その土地でかわいい女(浅丘ルリ子)に愛され、ライバル(宍戸錠)に追いかけられる。その中に地方色も入るが、結構、日本からかけはなれた無国籍性があり、これを無国籍アクションの象徴的なシリーズと見る人も多いわけだ。

第一作目から、このルーティーンは70%くらいはできあがっているが、浅丘とのやりとりはあまり深くならないし、錠もまだコメディアンの部分を出していない分、完成度は低い感じの芝居な感じである。

だが、錠をおいかけてきたダンサーの白木マリがいたり、日活アクションらしい配役はやはりワクワク感に満ちている。日活アクションの代表作であることは間違いない。

この映画でその日活アクションらしさをもっとも出しているのは旭の歌う主題歌である。今に歌い継がれる名曲は、この映画全体を包み込む感じで、まあ、スジなどどうでもよくするぐらい、当時も観客を魅了したのではないか?よく考えれば、この歌に函館はけして合っていないですよね。

その舞台の函館、当時のロープーウェイの姿や函館山のようすがでてくる。今とはかなり違った風景だろうから、貴重なフィルムといっていい。「渡り鳥」すべてにいえることは、当時の地方の様子がよく分かり、そのあたりはとてもみていてわたし的には楽しいということである。

まあ、アクションにつながる、金子の悪巧みは田舎っぽく陳腐だが、最後に旭がそれを退治すればいいということだろう。そして、最後の錠との一騎打ちはなかなか見せてくれる。あくまでも二枚目の錠とのそれは正攻法のものではあるが、監督の勝負の見せ方はなかなかキレている感じである。

そんな感じで、まだまだ未完成な渡り鳥であるが、先にも書いたように、主題歌でこのシリーズのすべては決まったのではないかと思う私である。

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